「連載:世替わりモノ語り 復帰50年」の記事一覧
2022年は復帰50年。復帰、海洋博、サミットなどの歴史的な出来事や、今はなき思い出の地、流行した歌や遊びなど、世替わりを経験した沖縄ならではの物語を、当時の品々(モノ)を通して紹介します。
まるで暗号「オナカ」「セナカ」が選挙戦 カタカナポスターと沖縄<世替わりモノ語り>8
1969年の那覇市議選で木にくくり付けられた候補者のカタカナポスター。定数30に69人が立候補した=那覇市古波蔵(豊島貞夫さん撮影) 前県知事の翁長雄志さんが生 ...
平和への願い託した「憲法手帳」 復帰に合わせ発行、沖縄を刻む<世替わりモノ語り>13
薄い水色の表紙に、銀色の文字のシンプルなデザイン。1972年5月15日、沖縄の日本復帰に合わせて発行された「憲法手帳」だ。約130ページで、大人の手のひらサイ ...
海上都市「アクアポリス」の懐かしの味伝え続ける イルカの皿もそのまま 名護市のレストラン「エメラルド」<世替わりモノ語り>12
1975年7月から半年間、本部半島を会場に開かれた沖縄国際海洋博覧会のシンボルとして人気を集めた海上都市「アクアポリス」。名護市宮里のプチレストラン「エメラル ...
あの巨大な表札「沖縄県庁」設置は一大プロジェクトだった 石探しから運搬まで…携わった職員の思い<世替わりモノ語り>11
県庁の正面玄関近くに「沖縄県庁」と刻まれた巨大な表札が来庁者を出迎える。高さ約1・5メートル、横幅約3メートル、厚さは約50センチある。「県庁の顔を作ろう」。 ...
沖縄初のプラネタリウムが公民館にある理由 時を超え、善意で実現<世替わりモノ語り>番外編
屋内にいながらにして満天の星空が楽しめるプラネタリウム。沖縄では日本復帰前の1960年、那覇市にあった子供博物館に愛知県の天文台から投影機が贈られ、半世紀以上 ...
鉄道がない沖縄で「デゴイチ」が結んだ縁…ある夫婦と国鉄職員の物語<世替わりモノ語り>番外編
1972年7月31日、当時与儀小学校5年生の城間悟さん(60)は、北九州市内でデゴイチの愛称で親しまれるD51型蒸気機関車を初めて目の当たりにした。「すごく大 ...
一流ホテルが一時「廃墟」に…「波瀾万丈」見続けたホテルマン 北中城の旧沖縄ヒルトン<世替わりモノ語り>10
北中城村喜舎場の丘の上に建つホテル・EMウェルネス暮らしの発酵ライフスタイルリゾートは、かつて世界の一流ホテルブランド、ヒルトンが運営していた。1973年2月 ...
コールサインは「K」復帰後「J」へ 自作アマチュア無線で本土と交信 鉄くずかき集め<世替わりモノ語り>9
個人が楽しむ趣味の中にあってアマチュア無線は特殊だ。国の資格が必要で、免許を取得するとコールサイン(呼出符号)が与えられ、交信できるようになる。1952年の日 ...
まるで暗号「オナカ」「セナカ」が選挙戦 カタカナポスターと沖縄<世替わりモノ語り>8
2022/03/27
#連載:世替わりモノ語り 復帰50年
前県知事の翁長雄志さんが生前、こんなエピソードを披露したことがあった。 旧真和志市長を務めた父の助静さんは復帰前の立法院議員選挙で、有権者が名前を書きやすい ...
「ロソ」「ア一」何て読む?カタカナ選挙ポスターは沖縄の風景に<世替わりモノ語り>8続き
>>まるで暗号「オナカ」「セナカ」が選挙戦<世替わりモノ語り>から続き 1960年、25歳で社大党から立法院議員選に立候補した仲本安一(あいち)さ ...
「大和の世からアメリカ世」名文句は時を超え…島唄の神様、嘉手苅林昌さん直筆の琉歌<世替わりモノ語り>7
「唐(とう)の世から大和(やまと)の世 大和の世からアメリカ世 ひるまさ変わたる 此(く)ぬ沖縄(うちなー)」 朝貢貿易で独立を保った琉球王国時代から、琉球 ...
沖縄で歯磨き粉の代名詞「コルゲート」 圧倒的シェアも日本基準適用後、姿消す<世替わりモノ語り>6
米統治下の沖縄ではありふれていたのに、日本復帰から半世紀たち、いつしか見かけなくなった日用品は少なくない。「歯磨き粉」を意味する英語と勘違いされるほど、各家庭 ...
「琉球はがき」心の支えに 集団就職、深夜まで修業<世替わりモノ語り>5
戦後、日本の高度経済成長期を支えたのは、地方からの集団就職だった。復帰前の沖縄からも、中卒、高卒の若者が集団就職で「内地」を目指した。那覇市出身の當眞嗣教(し ...
ジェラルミン製のステーキ皿、使い続ける理由 ジョージレストラン「この場所で受け継ぐのなら…」<世替わりモノ語り>4
無数の傷は歴史の跡―。1954年に沖縄市で創業し、56年に那覇市辻に移転した「ジョージレストラン」は、創業時に仕入れたジュラルミン製のステーキ皿を今も使用して ...
ナナサンマルバス…今も走る県民の足 左側通行当日「逆走に思えた」<世替わりモノ語り>3
復帰から6年後の1978年7月30日、米国式の右側通行だった交通体系が一夜にして日本式の左側通行に変わった。通称「730(ナナサンマル)」に備えるため、県内バス ...
米兵から地元、観光客へ…「ジャッキーステーキハウス」変わらない味と店員の人柄<世替わりモノ語り>2の続き
>>看板メニューに「JOTO」 米国と沖縄のチャンプルー、復帰前の「ジャッキーステーキハウス」から続き 1953年創業の人気ステーキ店「ジャッキーステーキハ ...
看板メニューに「JOTO」 米国と沖縄のチャンプルー、復帰前の「ジャッキーステーキハウス」<世替わりモノ語り>2
1953年創業の老舗ステーキ店「ジャッキーステーキハウス」(那覇市西)は復帰前後に使っていたメニュー表を大切に保管している。創業時は主に米兵を相手としたため、 ...
復帰式典の招待に「末次さん」 影響受けた「保守思想」に変化 元琉球政府職員の復帰<世替わりモノ語り>1の続き
>>2つのパスポートと招待状 歴史の間で往来した「国境」から続く 復帰の日、琉球政府職員を休職して青年海外協力隊の訓練中だった平川宗隆さんは、東京の復帰記念 ...
2つのパスポートと招待状 歴史の間で往来した「国境」 元琉球政府職員の復帰<世替わりモノ語り>1
2022/01/27
#復帰50年
「その日は雨降りだったのを覚えている」 1972年5月15日、日本政府主催の沖縄復帰記念式典は、東京と那覇の2会場で同時開催された。26歳だった平川宗隆さん ...
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