「沖縄戦」の記事一覧
集落の4割以上が犠牲になった村 戦後、焼け野原からの再建 途絶えた祭りも復活<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑫・保栄茂の大豊年祭>
2020/01/25
#沖縄戦
6年に1度行われる保栄茂の大豊年祭の奉納舞踊「四季口説」で使われる衣装を前に、祭りの意義などについて語る(左から)當銘正幸さん、當銘健一さん=21日、豊見城市保 ...
極限状態で人間は他人を思いやれるのか… 映画「島守の塔」制作に向け会結成 経済界から47人 沖縄戦当時、知事と警察部長だった男性の姿描く
2020/01/23
#島守の塔
映画「島守の塔」製作を応援する会沖縄の結成式で、作品への思いを語る五十嵐匠監督=22日、沖縄ハーバービューホテル 沖縄戦当時、食糧確保や疎開に尽力したとされる ...
<金口木舌>旧正月と豚
2020/01/21
#沖縄戦
沖縄戦を体験した世代が語る旧正月の思い出に豚がちょくちょく登場する。正月料理に豚は欠かせない。残った肉は塩漬けにして保存し、大切に食べた。「鳴き声以外は全て食 ...
遺骨からDNA抽出、4月から開始 厚労省が方針 沖縄県保管700人分 身元特定に期待 沖縄戦戦没者
2020/01/21
#DNA鑑定
【東京】戦没者遺骨の身元を特定するため国が実施しているDNA鑑定を巡り、厚生労働省は20日、県が仮安置所で保管している最大700人分の遺骨の検体について本年度 ...
三重県出身の戦没者か 日本兵認識票に「瀬古政秋」 沖縄の摩文仁の丘周辺で発見 NPO「遺族の元に返したい」
2020/01/21
#戦没者
「瀬古政秋」と記された認識票 沖縄戦戦没者の遺骨収集に取り組む松永光雄さん(66)=NPO法人沖縄鍾乳洞協会理事=らが16~19日に糸満市摩文仁の丘周辺で遺骨 ...
沖縄戦動員の師範学校男子部「学徒名簿」公開 死亡日時、場所も
2020/01/21
#名簿
新たに公開された沖縄師範学校男子部の「学徒名簿」 沖縄戦に動員された沖縄県師範学校男子部の学徒の名前や部隊名、住所などを示した「学徒名簿」がこのほど、国立公文 ...
「同じ思いさせたくない」 幼い頃の辛い記憶から結婚するも子どもはつくらず 戦後、男性が歩んだ道とは… <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑪大城勲さん>
2020/01/20
#家族
沖縄戦で孤児となり「子どもに同じ思いをさせたくなかった」と語る大城勲さん=2019年12月28日、豊見城市内 戦争に家族を奪われ、つらい子ども時代を過ごした記 ...
首里城敷地内に残る沖縄戦の遺跡を知っていますか? 90歳の元学徒が語るあの頃
2020/01/20
#古堅実吉
「留魂壕」の前で自身の沖縄戦の体験を語った古堅実吉さん=19日、那覇市 沖縄戦経験者で元鉄血勤皇隊員の元衆院議員・古堅実吉さん(90)が19日、同隊に動員され ...
子どもたちを乗せた船が攻撃の標的に…「対馬丸」の悲劇を児童らが組踊で熱演
2020/01/20
#対馬丸
新作組踊「対馬丸」で、疎開児童を演じる子どもたち=19日、那覇市泉崎の琉球新報ホール(喜瀨守昭撮影) 沖縄県北谷町内の小中学生が演じる新作組踊「対馬丸」(主催 ...
「見える人に負けるもんか」 夫婦で指圧師40年余り<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑩安慶名貞子さん㊦>
2020/01/19
#沖縄戦
マッサージ店の開業に向けて準備を進めているころの安慶名貞子さん=1963年1月 沖縄戦の後、栄養失調と熱病の治療が受けられず失明した安慶名貞子さん(80)=沖 ...
「学校に行く夢、よく見た」 中学生なれず奉公へ<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑧大城政子さん㊦>
2020/01/18
#家族
大城政子さん 沖縄戦で家族全員を失った大城政子さん(79)=糸満市。小学校を卒業すると働かなければならず、憧れた中学生にはなれなかった。戦争のせいで、戦後は教 ...
「涙と一緒に塊落ちた」 栄養失調と熱病で失明<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑨安慶名貞子さん㊤>
2020/01/18
#沖縄戦
失明する前に見た戦時中の街の様子や米兵の顔を覚えているという安慶名貞子さん=2019年12月12日、沖縄市 沖縄戦は多くの死者と負傷者を出しただけでなく、戦後 ...
<金口木舌>島人のこころ
2020/01/14
#ウルトラマン
幼い頃、遊び仲間から「ちぶるまぎー」とからかわれた。そのおかげで「ウルトラセブン」に登場する怪獣チブル星人が気になった ▼後に沖縄出身の脚本家、上原正三さんと ...
「家族の顔、覚えていない」 母奪った銃弾、傷痕今も<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑦大城政子さん㊤>
2020/01/11
#家族
「寒いと痛む」という沖縄戦で負った右膝の傷痕を見せる大城政子さん=2019年12月24日、糸満市 「けがをして久志の野戦病院にいた」。沖縄戦当時4歳だった大城 ...
沖縄戦で途絶えたノロの血縁… 伝統儀礼継承へ奮闘する女性の決意 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑥島袋順子さん>
2020/01/10
#嘉手納基地
平安山ノロ殿内の年中行事を守る島袋順子さん=2019年12月26日、北谷町吉原 激しい地上戦とその後の基地建設は住民から土地を奪っただけではなかった。土地の上 ...
「せめてウタキに入れるように」 心のよりどころに自由に入れず 米同時テロ以降厳しく <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑤町田宗益さん>
2020/01/07
#嘉手納基地
「チチェーンヌウタキに入れるようにしてほしい」と訴える町田宗益さん=2019年12月23日、読谷村牧原 琉球王国の王府が所有する牧場を士族に開放して形成された ...
米軍基地で飲み込まれた集落 古里離れるも伝統行事で元住民心一つに <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡④花城可保さん、喜友名朝徳さん㊦>
2020/01/07
#沖縄戦
嘉手納基地内にある集落が見渡せる場所に建てられた下勢頭郷友会の合祀所から元の集落の場所を見下ろす喜友名朝徳さん(左)と花城可保さん=2019年12月18日、北谷 ...
「思い出す昔の海の匂い」 消えたアシビグニ 山林、大木が生き証人 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡③喜友名朝徳さん㊤>
2020/01/05
#沖縄戦
嘉手納基地内にある旧集落の跡地に建てられた「あしびの御神」の入魂式に出席する下勢頭郷友会の役員ら=2001年7月(「下勢頭誌」から) 高台にある集落の事務所か ...
戦後100年たっても土地は返ってこないかも…日本の中にこんな場所があるのを知っていますか <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡②玉那覇昇さん㊦>
2020/01/04
#沖縄戦
再現された地図で宜野湾集落について語る玉那覇昇さん=2019年12月、宜野湾市宜野湾の宜野湾郷友会事務所 住民の財産である宅地や畑を奪い建設された米軍普天間飛 ...
米軍が沖縄に進攻したのは本土決戦のためだった 軍事拠点の構築、中南部に着目
2020/01/03
#沖縄戦
米軍が沖縄を進攻したのは、その後の本土上陸まで見据え、軍事拠点を造るためだった。 米軍はもともと台湾を攻略し、本土上陸の足がかりとするはずだった。ただ、フィ ...
【識者評論】戦後の土地接収「財産権を無視した強奪」 吉浜忍氏(沖縄国際大元教授)
2020/01/03
#沖縄戦
米軍による土地接収は財産権を無視した強奪だった。米軍基地の整備はかつての集落や耕地を分断し、戦後の復興に大きな影響を与え、住民は戦後75年となった現在も大きな ...
なぜ基地の周辺に住むの? 戦争で「地元」をなくした人たちの歴史
2020/01/03
#基地返還
普天間飛行場の周辺には多くの住宅が建ち並ぶ=2019年9月7日、宜野湾市(金良孝矢撮影) 沖縄本島や周辺離島に上陸した米軍は住民を収容所に隔離している間、基地 ...
なぜ沖縄に米軍基地ができたのか? その歴史を改めて振り返る
2020/01/03
#基地返還
激しい地上戦で4人に1人が犠牲となった沖縄戦の終結から2020年で75年を迎える。人々でにぎわったまちゃーぐゎーや農家が開拓した耕地は間断なく降り注ぐ艦砲と空 ...
松並木も学校も…今は普天間飛行場の中 生還して帰った古里は住むこと許されず <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡①玉那覇昇さん㊤>
2020/01/03
#沖縄戦
米軍普天間飛行場内にあるかつて暮らしていた実家の場所を示す玉那覇昇さん=2019年12月18日、宜野湾市宜野湾 米軍機の調整音が鳴り響き、オスプレイやヘリコプ ...
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