「沖縄戦」の記事一覧
沖縄民政府文教部に就職 與儀喜省さん 収容所で(23)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/16
#収容所で
與儀さんが暮らした旧石川市の3区周辺 與儀喜省さん(101)=那覇市=は1946年1月14日、久志村(現名護市)の瀬嵩収容地区から糸満へ移ります。與儀さんはテ ...
石垣島事件の新写真 篠原さん 資料整理中に発見
2020/08/16
#写真
沖縄戦のさなかに起きた石垣島事件で処刑された米兵3人のうち1人の写真が新たに見つかった。石垣市にある慰霊碑建立に携わった琉球大名誉教授の篠原武夫さん(79)= ...
沖縄戦の記憶「引き継ぐ」 東京の高校生、白梅之塔に今年も献花 「忘れず心に」元学徒と交流続け7年
2020/08/16
#沖縄戦
沖縄戦で白梅学徒隊として戦地に動員された県立第二高等女学校の学徒らを追悼する「白梅之塔」にささげてほしいと、終戦記念日の15日に毎年、花を贈っている高校生がい ...
妻が収容所内で出産 與儀喜省さん 収容所で(22)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/15
#収容所で
米軍の司令部が置かれた旧久志小学校 與儀喜省さん(101)は親類に会うため訪れた宜野座で1945年8月15日の敗戦を知ります。 《皇国不滅不敗の念が強かった ...
Coccoさんが伝える役者だった祖父の戦争体験 “おなら”でつないだ命とは
2020/08/15
#Cocco
8月15日は終戦の日。県出身のアーティスト・Coccoさんは、重要無形文化財「組踊」の保持者で沖縄芝居の名優でもある祖父・故真喜志康忠さんから戦争体験を聞いて ...
収容地区内に小学校 與儀喜省さん 収容所で(21)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/14
#収容所で
子どもたちが学んだ名護市瀨嵩の砂浜 大宜味村や久志村(現名護市)の山中で避難生活を送っていた與儀喜省さん(101)=那覇市=は瀨嵩の収容地区で戦後の歩みを始め ...
戦後補償、立法化で実現を 民間被害「向き合う必要性」 4団体が団体会見
2020/08/13
#戦後75年
戦後補償に向けて、早期の国会審議を求めて開いた共同会見で沖縄戦被害について訴える瑞慶覧茂沖縄戦被害・国賠訴訟弁護団長(右から2人目)=12日、東京都の衆院第2議 ...
食べ物に平和を実感 與儀喜省さん 収容所で(20)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/13
#収容所で
現在の瀬嵩御宮の入り口 與儀喜省さん(101)=那覇市=がいた久志村(現名護市)安部に1945年7月上旬、米軍がやってきます。米軍は避難民を1カ所に集め、「戦 ...
「友軍進撃」噂に惑わされる 與儀喜省さん 収容所で(19)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/12
#収容所で
現在の名護市安部集落 1945年3月末、家族と共に大宜味村津波に避難した與儀喜省さん(101)=那覇市=は山中でさまざまな噂を聞きます。「戦況は有利に展開して ...
大城文進さん「引き留めておけば」 破片が降り注ぐ中、飛び出した友が犠牲 伊江港LCT爆発事故
2020/08/12
#LCT
被爆慰霊碑の前で当時の思いを振り返る大城文進さん=11日、伊江村内 【伊江】沖縄戦の傷が癒える間もない1948年8月6日、伊江港で起きた米軍弾薬処理船(LCT ...
命拾い2度の不思議体験 沖縄戦生き抜いた89歳の証言
2020/08/12
#対馬丸
戦争時を振り返る渡久地昇永さん=本部町伊野波の自宅 【本部】伊江小などで校長を務めた渡久地昇永さん(89)=本部町伊野波=は、75年前の沖縄戦中、2度にわたり ...
迫る米軍、山奥に避難 與儀喜省さん 収容所で(18)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/11
#収容所で
大宜味村の平南川。上流に避難小屋が造られた 高嶺村(糸満市)大里から避難してきた與儀喜省さん(101)=那覇市=は大宜味村津波の平南川沿いに造られた避難小屋に ...
艦砲射撃の中、大宜味へ疎開 與儀喜省さん 収容所で(17)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/10
#収容所で
現在の糸満市大里の集落 與儀喜省さん(101)=那覇市=が暮らす高嶺村(現糸満市)の北部疎開第一陣は1945年3月18日のことです。指定の疎開先は大宜味村でし ...
那覇の惨状に呆然 與儀喜省さん 収容所で(16)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/09
#収容所で
旧報得橋の一部。近くに糸満国民学校の壕があった 10・10空襲から2日後の1944年10月12日、與儀喜省さん(101)=那覇市=は、義妹の安否を確認するため ...
家族避難させ、学校向かう 與儀喜省さん 収容所で(15)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/08
#収容所で
與儀喜省さん 101歳の與儀喜省さんから体験記が届きました。與儀さんは糸満市の出身で那覇市在住、現在は南風原町内の老人施設で暮らしています。北部の山中をさまよ ...
ふるさと今も金網の向こうに 山入端立雄さん 収容所で(14)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/07
#収容所で
現在の嘉手納町中央区コミュニティーセンター 古知屋収容地区で暮らしていた山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族は1945年10月ごろ、嘉手納町嘉手納に移動しま ...
紙面や証言紹介 横浜の日本新聞博物館で沖縄戦ミニ展示
2020/08/06
#沖縄戦
琉球新報とヤフー・ニュースで制作した沖縄戦の動画や沖縄戦当時の新聞紙面などを展示する「沖縄戦と新聞人」展=4日、横浜市の日本新聞博物館 【横浜】横浜市にある日 ...
「捕虜」になった認識なく 山入端立雄さん 収容所で(12)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/05
#収容所で
「古知屋市」が置かれた現在の宜野座村松田 米軍は山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族が避難した古知屋前原(現在の宜野座村松田)を収容地区とします。1945年 ...
避難民増え、古知屋前原へ 山入端立雄さん 収容所で(11)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/05
#収容所で
現在の名護市仲尾次。北谷村の羽地分所が置かれた 北谷村(現嘉手納町)兼久を離れ、疎開先の羽地村(現名護市)に着いた山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族は、中 ...
万年筆をなくしたあの壕であったこと 泣き叫ぶ兵士、腕をのこぎりで… 壮絶な体験を手記に
2020/08/04
#沖縄戦
県立第二高等女学校に入学した頃とみられる平良栄子さん(前列左から3人目)ら(平良さん提供) 75年ぶりに父から贈られた万年筆と再会した平良栄子さん(89)=旧 ...
「父からの合格祝いだった」 壕で見つかった万年筆、75年の時を経て持ち主へ
2020/08/04
#沖縄戦
南埜安男さん(左)が第24師団司令部壕内で見つけた万年筆を75年ぶりに手にして喜ぶ平良栄子さん=7月22日、糸満市与座 沖縄戦戦没者の遺骨収集活動に取り組む「 ...
【動画】11年ぶり第32軍司令部壕の内部へ 首里城地下に眠る戦跡を公開
2020/08/03
#沖縄戦
首里城地下にある日本軍第32軍司令部壕の最新映像が公開された。映像の場所は第5坑道。内部で鉄かぶとなど日本軍の遺留品や、水が流れている様子が確認された。県は3 ...
新事実や証言を集成、戦争の記憶を継ぐ 本紙連載を一冊に
2020/08/03
#戦後75年
【写真説明】「沖縄戦75年 戦禍を生き延びてきた人々」琉球新報社社会部編著(高文研・1980円) 沖縄戦から75年を迎えるに当たり、琉球新報社社会部が昨年10 ...
空襲激化、父が避難先探す 山入端立雄さん 収容所で(9)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/03
#収容所で
嘉手納マリーナ内にある野國總管の墓 米軍の沖縄上陸が迫る1945年2月、県は沖縄本島中南部住民の「北部疎開」計画を立て、県内市町村に伝えます。当時の北谷村は羽 ...
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