「連載:セピア色の春―高校人国記」の記事一覧
さまざまな分野で活躍する人々の青春期をたどりながら、地域の歴史とともに県内各高校の歩みや校風を描く。
生徒会で夏服をデザイン…新垣幸子氏 「運命を変えた」母校での実習…諸見里明氏 糸満高校(6)<セピア色の春―高校人国記>
1960年代の正門。ソウシジュが植えられていた(創立60周年記念誌「世紀の潮よるところ」より) 元県出納長の新垣幸子(77)は糸満高校の18期。木々に囲まれた ...
戦災孤児が支えた球児…宜野座嗣郎氏 机に毛布を囲って勉強…座間味昌茂氏 糸満高校(5)<セピア色の春―高校人国記>
1950年代半ばの朝礼風景(創立60周年記念誌「世紀の潮よるところ」より) 県高校野球連盟顧問の宜野座嗣郎(85)は糸満高校の11期。2年前、日本高野連から長 ...
「茅葺き校舎にイモ弁当」先生と議論、知る喜び 仲本安一氏、中村義清氏 糸満高校(4)<セピア色の春―高校人国記>
1954年7月5日付の「糸高新聞」創刊号(仲本安一氏蔵) 元県議で沖縄社会大衆党の委員長を務めた仲本安一(86)は糸満高校の10期。沖縄政界の激動期を駆け抜け ...
偉人に感銘、医師の道へ 言葉に苦労し押し黙る日々 大仲良一氏、金城正篤氏 糸満高校(3)<セピア色の春―高校人国記>
8期生の卒業記念に設置された校門(創立60周年記念誌「世紀の潮よるところ」より) 学生の頃、図書館で読んだ本が人生を決めた。沖縄セントラル病院理事長の大仲良一 ...
激戦の地に開校 テントの校舎、師弟で掘った井戸 大城藤六氏、新田重清氏 糸満高校(2)<セピア色の春―高校人国記>
1947年に生徒と教師が掘った井戸の歴史を記す石碑。井戸は現在も散水などで使われている 1946年1月16日、糸満高校が開校した。入学したのは旧制中学校に通っ ...
「リスナーと一緒に人生を」玉城美香さん、糸満高校で始まったラジオの道
2021/09/28
#玉城美香
玉城美香さん 糸満高校は1946年1月、戦後沖縄の7番目の高校として開校した。75年の歴史の一歩をしるしたのは校長を含め教師7人、生徒153人。校舎は4棟のテ ...
糸満高校(1)玉城美香さん「やりたいことは声に出す」 悩んだ進路、あこがれの先輩<セピア色の春―高校人国記>
玉城美香氏 ラジオパーソナリティーの玉城美香(46)は1974年、糸満市真栄里で生まれた。高嶺小学校に通っている頃、糸満を拠点に活動する芸能グループ「乙女椿」 ...
引っ込み思案の「ロック少年」が変わった日 ジョニー宜野湾氏 普天間高校(12)<セピア色の春―高校人国記>
ジョニー宜野湾氏 毎日のように、この人の歌声がテレビやラジオから聞こえてくる。ミュージシャンのジョニー宜野湾(63)は普天間高校の28期。今とは違い、在学中は ...
「那覇、首里に負けじ」を掛け声に佐喜真實氏 アナウンサーの夢目指しスポーツにも注力、後間秋穂氏 普天間高校(11)<セピア色の春―高校人国記>
2000年代の普天間高校の体育行事(創立60周年記念誌「並み松」より) 学校法人沖縄大学理事長の佐喜真實(69)は普天間高校の22期。卓球に熱中した日々が思い ...
高校生お笑い芸人だったモバイルプリンス氏、野球部キャプテンの元山仁士郎氏 普天間高校(10)<セピア色の春―高校人国記>
2005年度の普天間祭(創立60周年記念誌「並み松」より) スマホやネットの使い方やモラルを伝えるスマートフォンアドバイザーの島袋コウ(34)は普天間高校の5 ...
伝統芸のスリーディグリーズ 山城正保さん 洋画で学んだ英作文 普天間朝佳さん 普天間高校(9)<セピア色の春―高校人国記>
1970年代の文化祭で披露された仮装行列 沖縄銀行頭取、山城正保(61)は普天間高校の30期。勉学に励み、スポーツを楽しむ高校生だった。 1959年、宜野湾 ...
「ずぶぬれになって集会へ」安富祖久明さん 農業とテニス、原点に…普天間朝重さん 普天間高校(8)<セピア色の春―高校人国記>
普天間高校の校訓「質実剛健」「進取創造」を刻んだ石碑 離島・へき地医療の向上に原点を置く一般社団法人徳洲会の理事長で医師の安富祖久明(71)は普天間高校の20 ...
世替わり目の当たりに 定時制廃止で同窓会発足 上間優さん、名幸諒子さん 普天間高校(7)<セピア色の春―高校人国記>
1984年3月の定時制の廃課程を記念して建てられた石碑 大同火災海上保険の会長、上間優(65)は普天間高校の26期。「いろんな人と知り合い、刺激を受けた3年間 ...
共に学び、沖縄を代表する声楽家と経済学者に 翁長剛さん、富川盛武さん 普天間高校(6)<セピア色の春―高校人国記>
1960年代の普天間高校の校庭(創立50周年記念誌「並み松」より) 共に遊び、励まし合った2人の男子生徒がいた。1人は声楽家となった。もう1人は経済の研究者と ...
サッカー、野球部、百恵ちゃん…浜田京介氏、比嘉孝則氏 普天間高校(5)<セピア色の春―高校人国記>
念願の甲子園初出場決定の通知に喜ぶ普天間高校野球部=1971年2月1日 中城村長の浜田京介(58)は普天間高校の33期。サッカーが好きで歌手の山口百恵に思いを ...
不条理と地元愛…基地に向き合う歴代市長 普天間高校(4)<セピア色の春―高校人国記>
1950年代の普天間高校の全景(卒業アルバムより) 今年3月、普天間飛行場沿いに宜野湾市道11号が全面開通した。全長3.5キロ。1979年の事業化から開通まで ...
影響受けた復帰運動、バスケに明け暮れ…伊波洋一氏、松川正則氏 普天間高校(3)<セピア色の春―高校人国記>
1970年代の普天間高校の校舎 参院議員で元宜野湾市長の伊波洋一(69)は普天間高校の22期。政治意識が芽生え、本を読んだ3年間だった。 1952年、宜野湾 ...
甲子園おなじみの応援歌が誕生 恋に部活に音楽に…喜納昌吉さん、安次富修さん 普天間高校(2)<セピア色の春―高校人国記>
1970年代中頃の普天間高校(卒業アルバムより) 国内外で広く歌われている名曲「花」を生んだミュージシャンで元参院議員の喜納昌吉(73)は普天間高校の19期だ ...
普天間高校(1)「焼け跡の教師」は芥川賞作家に 平和の願い未来に託し<セピア色の春―高校人国記>
普天間高校の校舎=宜野湾市普天間 普天間高校の歴史は1945年12月、野嵩収容地区に集められた旧制中学校の生徒を対象に、民家で授業を始めたことに始まる。間もな ...
那覇商業高校(10)国仲涼子さん「沖縄のおばあになれるかな」<セピア色の春―高校人国記>
国仲涼子(42)が那覇商業高校に入学する前年の1994年、野球部が春夏連続で甲子園に出場している。「野球部は盛り上がっているなあ」。グラウンドを駆ける同級生に ...
1995年の国仲涼子さん「制服かわいい」那覇商業高での出会い
2021/07/14
#国仲涼子
国仲涼子(42)は那覇商業高校の45期。卒業後上京し、俳優としての道を歩み始めた。2001年に出演したNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」は社会現象となった ...
那覇商業工高(9)経済界、政界のけん引役を輩出 知念栄治さん、具志孝助さん、垣花章さん<セピア色の春―高校人国記>
知念栄治氏 那覇商業高校を卒業し、県経済の牽引(けんいん)役を果たした人は多い。その中に5期で県経営者協会元会長の知念栄治(82)がいる。 1939年、本部 ...
那覇商業高校(8)島から那覇へ…感じたカルチャーショック 島仲ルミ子さん、大城友宏さん<セピア色の春―高校人国記>
1960年代の職員室の風景(「那覇商百年史」より) 那覇商業高校が沖縄唯一の商業学校だった1960年代半ばまで離島からも多くの生徒が集まった。 日本産業カウ ...
那覇商業高校(7)人見知りも、家業手伝いながらも…空手家に 東恩納盛男さん、外間哲弘さん<セピア色の春―高校人国記>
1950年代の朝礼風景(「那覇商百年誌」より) 経済界だけでなく琉球舞踊など沖縄の伝統文化の世界に人材を輩出してきた那覇商業高校。空手の世界にも卒業生がいる。 ...
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