「連載:セピア色の春―高校人国記」の記事一覧
さまざまな分野で活躍する人々の青春期をたどりながら、地域の歴史とともに県内各高校の歩みや校風を描く。
3カ月で途絶えた学校生活…戦場動員、収容所経て再会、高校生ストも 瀬名波栄喜さん 北部農林高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
新たな校舎で戦禍を生き延びた友人と再会 戻らぬ学友も…瀬名波栄喜さん 北部農林高校(1)から続く 1902年の創立から120年の歴史 ...
新たな校舎で戦禍を生き延びた友人と再会 戻らぬ学友も…瀬名波栄喜さん 北部農林高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
2022/09/30
#北部農林高校
高校時代について語る瀬名波栄喜さん 1946年1月、北部農林高校が名護市東江に創設される。現在は市立東江中学校がある地である。開校当初は国頭農事試験場と併設だ ...
「父を越えたい」教員の道へ…喜久里幸雄氏 パイン畑の造成に感動、県の三大事業に従事…糸数行雄氏 久米島高校⑥<セピア色の春ー高校人国記ー>
1960年代の久米島高校の全景(卒業アルバムより) 久米島町の初代教育長などを務めた喜久里幸雄(79)は13期。久米島高校の元教員で第19代校長でもある。19 ...
芸の道を歩む姉弟 民謡への思い、新唄大賞でグランプリ…仲村咲さん 卒業後にお笑いの道へ、今もネタ作り励む…仲村昭吾さん 久米島高校(5)<セピア色の春―高校人国記>
海岸に面した久米島高校のグラウンド 芸の道を歩むきょうだいがいる。姉は民謡、弟はお笑いの世界で生きる。 民謡歌手の仲村咲(34)は久米島高校の57期。保育所 ...
登川誠仁氏の弟子に、職場との二重生活も…上江洲由孝さん 公務員時代「島を背負っている」との思い…江洲順吉さん 久米島高校(4)<セピア色の春―高校人国記>
1960年代の久米島高校の朝礼風景(卒業アルバムより) 県指定無形文化財「琉球歌劇」(地謡)保持者の上江洲由孝(81)は11期。1941年、具志川村(現久米島 ...
県内初の女性議長「女性のやる気につながった」…高良ノブさん 豊かな自然で育まれた島の作物を発信…与座八重さん 久米島高校(3)<セピア色の春―高校人国記>
1960年代の久米島高校の正門(卒業アルバムより) 仲里村(現久米島町)の議会議員を3期務めた高良ノブ(79)は久米島高校の13期。1998年、県内初の女性議 ...
「家族を支えるために勉強する」思いを共有…大城眞幸さん 「白黒はっきりさせたい性格」法曹界の道に…保久村登さん 久米島高校(2)<セピア色の春―高校人国記>
現在の久米島高校の校舎 久米島郷友連合会会長の大城眞幸(73)は久米島高校の19期。「登下校時も道を歩きながら、本を読んでいた」という先輩に感化され、勉強に励 ...
島から海外雄飛を夢見た少年 三線の技を磨き人間国宝に 久米島高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
2022/07/29
#中村一雄
「仲間節」を独唱する中村一雄 海外雄飛を夢見た少年は今、沖縄古典音楽の世界をひたすら歩んでいる。国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の中村一雄(76)は久米 ...
卒業後に古典音楽の世界へ 今への思い忘れず 中村一雄さん 久米島高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
島から海外雄飛を夢見た少年 三線の技を磨き人間国宝に 久米島高校(1)から続く 1960年代の授業風景(卒業アルバムより) 琉球古典音楽の国指定 ...
目立たない生徒が、音楽に目覚める…喜屋武幸雄さん 漆芸家への一歩「人生で一番勉強した」…前田國男さん 沖縄工業高校(12)<セピア色の春―高校人国記>
1959年の沖縄工業高校の寮生ら。後ろの建物が寮(前田國男さん提供) 音楽プロデューサーの喜屋武幸雄(80)は沖縄工業高校機械科の11期。愛称はオユキ。沖縄ロ ...
お笑いへの道を決めたポケベルの広告 「ハンジロウ」の砂川尚吾さん、金城秀吾さん 沖縄工業高校(11)<セピア色の春―高校人国記>
たーにーこと、砂川尚吾さん(左)としゅうごパークこと、金城秀吾さん 「小中高校時代を合わせて考えると、一番楽しかったのが高校でしたね。ほんと、ちむどんどんして ...
働きながら真っ赤な自家用車で通学…新垣哲司さん 「一族の誇り」の名もらい「喜瀬武原闘争」へ…崎原盛秀さん 沖縄工業高校(10)<セピア色の春―高校人国記>
沖縄工業高校定時制電気科の授業風景(1971年卒業アルバム「たくみ」より) 1955年、沖縄工業高校に定時制課程が設立され、機械、電気、建築の3科が置かれた。 ...
連帯が求められていた時代…伊佐順光さん 社会の波にもまれた3年間…玉城清さん 沖縄工業高校(9)<セピア色の春-高校人国記>
全体朝礼の風景=1957年(「沖工百周年記念誌」より) 沖縄工業卒業生には、労働組合に関わりながら戦後の沖縄が直面してきた難題に取り組んだ人物が少なくない。沖 ...
回答に「洋式トイレ」80点…大湾清之さん 「T定規」に憧れて…国吉真正さん 沖縄工業高校(8)<セピア色の春―高校人国記>
1964年代の体育祭の一幕(「創立90周年記念写真集」) 琉球古典音楽安冨祖流絃聲会師範で笛奏者として国の重要無形文化財「琉球舞踊」保持者の大湾清之(75)は ...
米軍の兵舎建設が授業代わりに…新垣秀雄さん 世のためにと建築士の道へ…屋田直勝さん 沖縄工業高校(7)<セピア色の春―高校人国記>
寄宿舎生と炊事の女性(1期卒業記念アルバム「青春」より) 沖縄工業は戦後、1948年に新たなスタートを切った。機械科、電気科、建築科が設置され、離島を含めて全 ...
父の後を継ぐため…福地裕吉さん 高校で生涯の友を得た…末松文信さん 沖縄工業高校(6)<セピア色の春―高校人国記>
1964年当時の沖縄工業の校舎(「創立90周年記念写真集より」) 来年で創業70年を迎える福地組会長の福地裕吉(74)は16期。1947年、民間人収容所があっ ...
電気店で母の生活支えたい…平川崇賢さん 離島苦の進学、姉が支え…糸洲朝則氏さん 沖縄工業高校(5)<セピア色の春―高校人国記>
14期生在学中の60周年記念体育祭(「創立90周年記念写真集」より) 14期生(電気科)で、旧石川市長だった平川崇賢(76)は1945年8月、サイパンの収容所 ...
寮生活で上下関係は厳しく…吉田勝広さん 手に職つけて早く働きたかった…野国昌春さん 沖縄工業高校(4)<セピア色の春―高校人国記>
生徒総会の風景「学園の民主化のために論ず」(「沖工百周年記念誌」より) 14期電気科からは、後に3人が自治体の首長になった。元金武町長の吉田勝広(77)、前北 ...
ハングリー精神を培った日々…神山操さん、恩師との出会い支えに…玉寄哲永さん 沖縄工業高校(2)<セピア色の春―高校人国記>
安謝時代の沖縄工業高校の校舎(「沖工百周年記念誌」より) 沖縄工業は1902年、首里区立工業徒弟学校として首里で開校した。21年に県立工業学校となり、沖縄戦で ...
親子、それぞれの道を追い続け 島袋光尋さん、島袋光年さんは高校時代、父はテニスに息子は漫画に取り組む 沖縄工業高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
人気漫画家「しまぶー」の父は組踊の重要無形文化財保持者 親子二代で通った高校 島袋 光尋氏 琉球舞踊島袋流千尋会家元の島袋光尋(80)は1941 ...
人気漫画家「しまぶー」の父は組踊の重要無形文化財保持者 親子二代で通った高校 沖縄工業高校(1)<セピア色の春―高校人国記>
2022/04/19
#沖縄工業高校
沖縄工業高校卒業生で国指定重要無形文化財「組踊」保持者の島袋光尋さん(右)と、息子で漫画家の光年さん=12日、那覇市内 那覇市松川の学舎を卒業した父は組踊の国 ...
笑わせることが快感だった 「ふりあしびー」が今につながる 「ひーぷー」こと真栄平仁さん 前原高校(12)<セピア色の春―高校人国記>
1980年代の朝礼風景(42期卒業アルバムより) ラジオパーソナリティー、タレント、劇団代表と多彩な顔を持つ「ひーぷー」こと真栄平仁(53)は前原高校の42期 ...
家庭教師のバイトしながら…金武正八郎さん、グローブ買えずに空手部へ…金城勉さん 前原高校(11)<セピア色の春―高校人国記>
校内の反戦集会に集まった生徒ら=1970年 元県教育長の金武正八郎(72)は前原高校の23期。厳しい生活環境の中で3年間学んだ。 金武 正八郎氏 1949年 ...
バレーに打ち込んだ民謡歌手、テニス漬けの琉球語研究者 我如古より子さん、狩俣繁久さん 前原高校(10)<セピア色の春―高校人国記>
1970年代の前原高校の正門(卒業アルバムより) 復帰を挟む激動期、前原高校のバレーボール部に民謡歌手の我如古より子(67)がいた。既にステージにも立っていた ...
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