「沖縄戦」の記事一覧
どこに、誰と逃げる? 沖縄戦のガマ避難を追体験 児童ら「生き残る難しさ」実感 読谷
【読谷】平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するために創設された「沖縄平和賞」事業の一環で、小学生を対象にした参加型学習会が1日、読谷村立古堅南小学校で ...
作家の池澤夏樹さん「沖縄に不平等押し付け」 熊本で娘と絵本朗読、沖縄戦伝える
作家池澤夏樹さん(78)が、イラストレーター黒田征太郎さん(84)と共に手がけた沖縄戦を伝える絵本「ヤギと少年、洞窟の中へ」を朗読するイベントが熊本市の書店で ...
「まさに戦前と同じ。二度と戦場にしないで」沖縄戦体験者ら県民大集会を応援 「いけないけれど、たくさんの人が集まってほしい」
23日に那覇市の奥武山公園で開かれる「11・23県民平和大集会」に、参加できない戦争体験者らが、思いを寄せている。日本軍の拠点が攻撃目標になり、住民が巻き添え ...
沖縄のガマで学ぶ犠牲者への思い 福島「未来塾」が遺骨収集 原発事故、実相継承を考える
東日本大震災の経験や教訓を発信している「大熊未来塾」(福島県大熊町)のメンバーが沖縄を訪れ、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんと19日、糸満市 ...
デニー知事、県民集会でスピーチ 23日に奥武山公園 全国とも連携へ
23日に那覇市内で開催される「11・23 県民平和大集会」に玉城デニー知事が出席し、スピーチをすることが固まった。沖縄を中心に進む軍備強化・戦争準備に反対する ...
暗闇の地下水路、1日かけ脱出 玉那覇祐正さん<未来に伝える沖縄戦>
2023/11/15
#未来に伝える沖縄戦
宜野湾市に住む玉那覇祐正さん(90)は戦前、現在の米軍普天間飛行場の敷地内にあった宜野湾村宜野湾の集落で育ち、1945年の沖縄戦では集落内のガマなどに避難しま ...
沖縄戦時の学童疎開を追体験、宮崎で12月27~29日 対馬丸記念会、参加児童を募集
2023/11/13
#学童疎開
対馬丸事件の継承に取り組む対馬丸記念会は第2回疎開体験事業の小学校5、6年生の参加児童を募集している。沖縄戦時の学童疎開を追体験して平和について考えようと、宮 ...
「白梅学徒隊」最後の同窓会 亡き学友の追悼、沖縄戦伝え60年余…「継承の会」へバトン
県立第二高等女学校の同窓生らでつくる「白梅同窓会」が高齢化のため、60年余りの活動に幕を下ろすことを決めた。 最後の総会が12日に那覇市内のホテルで開かれ、 ...
那覇市長「二度と過ち起こさない。平和築く」 那覇市が戦没者追悼式 なぐやけの碑
【那覇】那覇市戦没者追悼式(第28回なぐやけの碑慰霊祭、那覇市・市議会主催)が11日、那覇市若狭の旭ヶ丘公園内、なぐやけの碑の前で開かれた。新型コロナの感染拡 ...
「集団自決」の島で平和学び ケラマブルーの海で自然体感 東京の小学生、渡嘉敷島で 沖縄
【渡嘉敷】東京の和光鶴川小学校(大野裕一校長)の6年生68人、教員5人が10月26日、那覇から村営高速船を利用し、日帰りの日程で渡嘉敷村を訪れた。沖縄戦体験者 ...
伊江島の「日本軍壕」特定に至らず 範囲広げ掘削も入口見つからず 厚労省調査
【伊江】厚生労働省が伊江村で実施している沖縄戦当時の日本軍壕の入り口特定に向けた試掘調査は最終日の2日、入り口の特定には至らなかった。調査は10月31日から同 ...
沖縄糸満市の「糸洲壕」、長野県の佐久市が整備を計画、ナゼ? 市長が現地を視察
【糸満】沖縄戦末期、野戦病院が置かれ積徳高等女学校の「ふじ学徒隊」の学徒らが動員された糸満市の糸洲壕について、軍医で野戦病院の隊長だった小池勇助少佐の出身地・ ...
伊江島の日本軍壕、2日目も見つからず きょう最終日、当時村長の証言地点を掘削へ 厚労省
【伊江】沖縄戦の伊江島の戦闘で106人の日本兵などが戦死したとされる地域にある日本軍壕(ごう)の特定に向けた厚労省の試掘調査2日目は1日、米軍の資料や村民の証 ...
日本兵106人が戦死した壕はどこ? 伊江島の段丘地帯を試掘し特定へ 厚労省があすまで調査
【伊江】沖縄戦の伊江島の戦闘で、日本兵106人が戦死したとされる壕(ごう)の特定に向けた試掘調査が31日、始まった。同日、厚生労働省から職員2人が現地入りし、 ...
「戦争準備」に痛む心 新里正子さん(6) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=は1939年5月の生まれです。この年、両親を病気で失い、自身も病で苦しみます。「アタビー(カエル)やハルエンチュウ(野ねずみ)を ...
祖父、叔母と永遠の別れ 新里正子さん(5) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=は叔母の清子さんの傷口に尿をかける叔父に驚き、足にかみつきます。 叔父は泣きながら「消毒薬がないので尿で消毒しているんだ。苦し ...
うじがわく傷口に尿 新里正子さん(4) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
新里正子さん(84)=読谷村=の叔母の清子さんと祖父が砲撃で大けがをしました。叔父は叔母の背中をさすり「痛いか」と大泣きし、祖母も片手を失った祖父の前で嘆きま ...
砲撃で2人が大けが 新里正子さん(3) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
命がけで逃げ回っていた新里正子さん(84)=読谷村=らは「ここは危ない」と引き返すことになります。糸満からやんばるに向かい、現在の宜野座村にたどり着きます。 ...
母方の家族が生き埋めに 新里正子さん(2) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
糸満に向かっていた新里正子さん(84)=読谷村=の家族が摩文仁に近づく頃、雷が空を引き裂くような音と共に爆弾が降ってきました。 《糸満(いちまん)かい向かてぃ ...
日本軍頼り、糸満へ 新里正子さん(1) 家族を失って<読者と刻む沖縄戦>
読谷村都屋の新里正子さん(84)から体験記をいただきました。那覇市繁多川で生まれ、戦場をさまよいました。体験談はうちなーぐち。「私の体験を表現できるのはうちな ...
<訃報>上原はつ子さん死去 「全学徒隊の碑」建立、沖縄戦継承に尽力 94歳
2023/10/25
#全学徒の碑
沖縄戦を体験した私立昭和高等女学校の元生徒で、糸満市摩文仁の「全学徒隊の碑」建立など戦争体験継承に尽力した上原はつ子(うえはら・はつこ、本名=ハツ子)さんが2 ...
山中で「オギャー」天に感謝 喜屋武貞子さん(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
越来村(現沖縄市)を離れた喜屋武貞子さん(84)=那覇市=ときょうだい、母の稲嶺千枝さんらは久志村(現名護市)の山中に避難していました。1945年5月末、千枝 ...
栄養失調で祖父亡くなる 喜屋武貞子さん(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
喜屋武貞子さん(84)=那覇市=は母の稲嶺千枝さん、きょうだい、親戚と共に北部を目指していました。夜、歩いている時、崖のような所から転げ落ちたこともありました ...
父は島尻の激戦地へ 喜屋武貞子さん(2) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
越来村(現沖縄市)山里で暮らしていた喜屋武貞子さん(84)=那覇市=は米軍が本島に上陸した1945年4月1日ごろ、母の稲嶺千枝さんやきょうだい、祖父、親戚のお ...
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