「沖縄戦」の記事一覧
<金口木舌>地域の慰霊碑
2021/07/29
#慰霊碑
多くの遺体が横たわる糸満市摩文仁を逃げた。自決用に手りゅう弾を持っていたが「故郷に帰りたい」と生き抜いた。防衛隊に動員された宜野湾市喜友名の當山誠篤さん(93 ...
戦争に危機感、疎開準備へ 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(1)
2021/07/28
#沖縄戦
赤嶺松栄さん 南風原町の赤嶺松栄さん(85)から九州疎開での出来事を記した体験記が届きました。赤嶺さんは母、姉と共に宮崎県高岡町(現宮崎市高岡町)に疎開し、戦 ...
「崇元寺を復元して」元住民4きょうだい、沖縄戦直前の思い出を今も
2021/07/27
#崇元寺
御茶屋御殿跡を訪れた(左から)上江洲隆さん、仲宗根貞子さん、上江洌正子さん、奥平道子さん=6月、那覇市首里崎山町(吉浜秀彦さん提供) 【那覇】琉球国王の位牌( ...
山中で「子どもの口ふさげ」 本島中部在住の女性〈下〉 山の戦争(36)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/26
#山の戦争
現在の名護市川上の集落 米軍の進攻から逃れ、両親や姉、弟と共に嘉津宇岳に身を隠していた女性(83)は羽地村(現名護市)川上に向かいます。途中、羽地国民学校(現 ...
米軍上陸 嘉津宇岳から目撃 本島中部在住の女性〈上〉 山の戦争(35)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/25
#山の戦争
名護市山入端の海岸から見る嘉津宇岳の周辺 連載を読み、「私の体験をお話ししたい」という本島中部に住む83歳の女性からお電話をいただきました。女性は名護市の生ま ...
母亡くし3兄弟孤児に 當銘幸吉さん 山の戦争(34)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/24
#山の戦争
田井等収容地区から戻った家族が暮らした保栄茂の馬場跡 1945年末、當銘幸吉さん(86)=糸満市=家族は収容所から豊見城村に戻ります。ところが母カメさんが栄養 ...
「時間がかかってごめんな」姉の生きた証を戸籍に 戦後76年経て実現
2021/07/23
#沖縄戦
沖縄戦で命を落とした姉・千枝子さんについて語る伊芸健優さん=1日、金武町屋嘉 【金武】優しかった姉が生きた証しを残したい―。金武町屋嘉の伊芸健優さん(81)は ...
日本兵に殺されるより収容所に 當銘幸吉さん 山の戦争(33)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/23
#山の戦争
収容地区があった名護市田井等の集落 當銘幸吉さん(86)=糸満市=の家族は日本兵による住民殺害を目撃した2日後、米軍に捕らわれます。日本兵に強い恐怖を感じ、自 ...
平和な世 次世代へ 宜野湾喜友名「友魂の塔」建て替え 体験者「戦二度と」
2021/07/22
#沖縄戦
【宜野湾】沖縄戦などで亡くなった地元出身者を刻銘する宜野湾市喜友名の「友魂の塔」が建て替えられた。6月23日の慰霊の日、喜友名自治会(知念桂子会長)は塔の除幕 ...
日本兵が女性を殺害 當銘幸吉さん 山の戦争(32)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/22
#山の戦争
名護岳の周辺から見る市街地 母や弟と共に山中をさまよった當銘幸吉さん(86)=糸満市=は飢えに苦しんだ日々を今も忘れることはありません。 「喜如嘉では桑の葉 ...
避難先喜如嘉の山中も空襲 當銘幸吉さん 山の戦争(31)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/21
#山の戦争
大宜味村喜如嘉の集落。大勢の避難民を受け入れた 當銘幸吉さん(86)=糸満市=は1945年3月、母カメさんや2人の弟らと共に豊見城村民の疎開割り当て地である大 ...
第32軍壕、未発掘区間の調査優先を 委員から異論相次ぐ
2021/07/21
#沖縄戦
沖縄県は20日、学術と技術分野の有識者でつくる第32軍司令部壕保存・公開検討委員会の第3回会合を那覇市の自治研修所で開いた。県が本年度、発掘済み区間の基礎調査 ...
朝礼で「米英撃滅」復唱 當銘幸吉さん 山の戦争(29)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/19
#山の戦争
當銘幸吉さん 糸満市西崎の當銘幸吉さん(86)から体験記が届きました。當銘さんは豊見城村(現豊見城市)で生まれ、米軍上陸前に大宜味村へ疎開しました。その後、米 ...
まんがで伝える沖縄戦 奔流の彼方へ 儀間昇さん編⑥
<第1話から読む> <第5話はこちら> ~ あとがき ~ このまんがは、2015年1月からおよそ1年間、琉球新報で連載した「奔流の彼方へ(島袋貞治・著)」をもと ...
まんがで伝える沖縄戦 奔流の彼方へ 儀間昇さん編⑤
<第1話から読む> <第4話はこちら> R1…捕虜移送船 沖縄の各地で米軍に投降し、拘束された人々は近くの収容所に集められた後、一般住民と日本軍関係者に選別され ...
「泣かすな」日本兵が乳児惨殺 照屋次央さん 山の戦争(21)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/15
#山の戦争
艦砲射撃が始まり、照屋さん家族が避難したイシンバ山 米軍の艦砲射撃が始まり、照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族11人は伊豆味の北部に位置するイシ ...
日本兵、スパイ嫌疑で父狙う 照屋次央さん 山の戦争(25)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/14
#山の戦争
本部町伊豆味にある「照屋忠英先生遺徳顕彰碑」 日本軍の独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊、通称宇土部隊)は1945年4月に本部半島に進攻した米軍と八重岳や ...
沖縄戦を生き抜いた子どもたちはどうなった? 失った家族、孤児院で衰弱死…
2021/07/13
#学ぼう沖縄戦
1931年ねんの満州まんしゅう事変じへんから始はじまり、日にっ中ちゅう戦争せんそう、アジア・太平洋戦争たいへいようせんそうへと続つづいた「十じゅう五ご年ねん戦争 ...
朝鮮人「慰安婦」と出会う 照屋次央さん 山の戦争(24)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/13
#山の戦争
宇土部隊の本部が置かれた伊豆味国民学校(現伊豆味小中学校)の周辺 照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族が避難場所を求めて山を下っていくと、日本軍の ...
宮城初枝さんの沖縄戦体験 みんな「勝つ」と信じていた
2021/07/13
#学ぼう沖縄戦
73年前の沖縄戦の様子を語る語る宮城初枝さん=5月、南城市佐敷の自宅 宮城みやぎ初枝はつえさん(95)は1923年ねん(大正たいしょう12年ねん)に佐敷さしき村 ...
城は守ったら攻められる…「苦しめられたもの」に託す未来図 オキハム会長・長浜徳松さん(2)<復帰半世紀 私と沖縄>
日本復帰から現在までを振り返り、沖縄の現状や課題について話すオキハムの長浜徳松会長=6月28日、読谷村座喜味の沖縄ハム総合食品 焦土にこそ希望 食で支えたバイタ ...
焦土にこそ希望 食で支えたバイタリティー オキハム会長・長浜徳松さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>
沖縄の現状や課題について語るオキハムの長浜徳松会長=6月28日、読谷村座喜味の同社 アジア太平洋戦争まっただ中の1944年。後に「沖縄ハム総合食品」の会長とな ...
苦しみもがく少年兵見捨て 照屋次央さん 山の戦争(23)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/12
#山の戦争
家族がさまよったイシンバ山に続く山道 日本兵による住民殺害に避難民は動揺します。照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族は危険を感じ、新たな避難場所を ...
スパイ容疑 住民殺害を目撃 照屋次央さん 山の戦争(22)<読者と刻む沖縄戦>
2021/07/11
#山の戦争
家族がさまよったイシンバ山の山頂付近 乳児が日本兵に殺された後、照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族は、危険を感じた父の忠次郎さんの指示で壕を出ま ...
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