「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
砲撃で壕落盤 辛うじて脱出 島袋文雄さん 米軍上陸(19)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
島袋さんが避難した壕があった浦添市沢岻の住宅地 1945年4月1日に米軍が沖縄本島中部西海岸に上陸した後も島袋文雄さん(90)=那覇市=の家族は浦添市沢岻の壕 ...
西海岸に米軍艦 島袋文雄さん 米軍上陸(18)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
沢岻から見た浦添市大平付近。西海岸の海も見える。 「10・10空襲」で那覇市前島の家を失い、家族で浦添市沢岻に避難していた島袋文雄さん(90)=那覇市=は19 ...
空襲で家失う 島袋文雄さん 米軍上陸(17)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
「泊塩田之跡碑」が立つ那覇市の前島中公園 県立一中の生徒で、日本軍の陣地構築や勤労奉仕に追われていた島袋文雄さん(90)=那覇市=は1944年10月の「10・ ...
兄も犠牲、戦争憎い 奥村敏郎さん 米軍上陸(15)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
「平和の礎」に刻まれている奥村(旧姓・奥浜)菊郎さんの名前 奥村敏郎さん(85)=沖縄市=の兄、菊郎さんは1930年、浜比嘉島で生まれました。両親はポナペ島に ...
墓に避難の祖父犠牲に 奥村敏郎さん 米軍上陸(14)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
米軍を恐れ住民は集落近くの山に避難した 浜比嘉島は沖縄本島のような地上戦はありませんでしたが、住民は生命の危機に直面していました。米軍を恐れ山中の壕に身を潜め ...
爆撃で母と祖父失う 島袋文雄さん 米軍上陸(20)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/24
#沖縄戦
現在の糸満市真栄平。この集落で母と祖父を失った 1945年4月末、米軍の砲撃で浦添市沢岻の壕を失い、母の静さん、祖父らと共に本島南部に逃れた島袋文雄さん(90 ...
皇民化教育で軍人に憧れ 島袋文雄さん 米軍上陸(16)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/19
#沖縄戦
島袋文雄さん 那覇市前島の島袋文雄さん(90)から「若い皆さんに私の戦争体験をお伝えしたい」との連絡をいただきました。沖縄戦当時、県立第一中学校の生徒でした。 ...
平安座島攻撃を目撃 奥村敏郎さん 米軍上陸(11)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/15
#沖縄戦
奥村敏郎さん 沖縄市胡屋の奥村敏郎さん(85)から米軍上陸時の体験談が届きました。奥村さんは、うるま市勝連の浜比嘉島で生まれ育ちました。体験談の冒頭に「基地、 ...
津堅島への攻撃を目撃 奥村敏郎さん 米軍上陸(13)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/15
#沖縄戦
浜比嘉島から見る津堅島 うるま市勝連の浜比嘉島で沖縄戦を体験した奥村敏郎さん(85)=沖縄市=は体験談の中で「基地も軍隊もなかった」ことから、島に上陸した米軍 ...
学校校舎が爆撃受ける 奥村敏郎さん 米軍上陸(12)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/14
#沖縄戦
現在のうるま市勝連の浜集落 1945年3月末に始まった沖縄全域への空襲、本島への艦砲射撃に続き、米軍は4月1日、沖縄本島西海岸に上陸します。勝連村(現うるま市 ...
震えて食べたチョコレート 海勢頭孝一さん 米軍上陸(10)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/11
#沖縄戦
慰霊碑の刻銘板に刻まれた戦没者の名前。太平洋戦争で338人が亡くなった 1945年5月以降も平安座集落近くのガマにいた海勢頭孝一さん(81)=うるま市=は島に ...
米兵におびえる生活 海勢頭孝一さん 米軍上陸(9)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/11
#沖縄戦
平安座集落近くのガマで「集団自決」の危機にも直面した 沖縄本島中部西海岸に上陸した米軍は1945年4月上旬からボートなどで平安座、宮城、伊計、浜比嘉の島々に上 ...
進まなかったマーラン船 海勢頭孝一さん米軍上陸 (8)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/09
#沖縄戦
平安座住民の約半数が北部に疎開し、残った住民はガマで避難生活を送った 1944年10月の「10・10空襲」以降、平安座島の住民の間に危機感が高まります。「沖縄 ...
豆腐を作っていると爆撃機が 海勢頭孝一さん 米軍上陸(7)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/08
#沖縄戦
現在の平安座集落。1944年の「10・10空襲」で損害を受けた 平安座島で生まれ育った海勢頭孝一さん(81)=うるま市=は兵隊にあこがれる子どもの1人でした。 ...
島にやってきた「ハト部隊」 海勢頭孝一さん 米軍上陸(6)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/07
#沖縄戦
海勢頭孝一さん(左)、美佐子さん うるま市に住む海勢頭孝一さんから「戦闘体験を語りたい」という連絡がありました。孝一さん(81)は平安座島出身です。米軍の本島 ...
不安の日々、父の健在に光明 照屋礼子さん 米軍上陸(5)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/06
#沖縄戦
備瀬の海岸から伊江島を望む。兵士の遺体が砂浜に流れ着くことがあった 父進さんが米軍に捕らわれ、本部町備瀬に残された照屋礼子さん(82)=名護市=の家族は不安な ...
父が捕虜に、身ごもる母襲った悲しみ 照屋礼子さん 米軍上陸(4)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/05
#沖縄戦
現在の本部町備瀬の集落。男性は米軍に収容され、掃討戦も続いた 米軍の進攻を逃れ、本部町の山中に逃れていた照屋礼子さん(82)ら家族は避難生活が長引くにつれ、食 ...
泣く妹の口にタオルを 照屋礼子さん 米軍上陸(3)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/04
#沖縄戦
艦砲射撃が始まり、備瀬の住民は山中に避難した=本部町嘉津宇 1945年2月、座間味島を離れた照屋礼子さん(82)=名護市=の家族は本部町備瀬の集落に戻りました ...
座間味で10・10空襲体験「教室飛び出し泣き叫び」 照屋礼子さん 米軍上陸(2)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/03
#沖縄戦
現在の座間味小中学校=座間味村座間味 大阪から引き揚げた照屋礼子さん(82)=名護市=の家族は1944年2月、座間味村に渡ります。父の進さんは屋嘉比島にある鉱 ...
小太郎さん芝居もあった大阪離れ 戦況悪化で座間味へ 照屋礼子さん 米軍上陸(1)<読者と刻む沖縄戦>
2020/04/02
#沖縄戦
照屋礼子さん 名護市の照屋礼子さん(82)から沖縄本島に米軍が上陸した75年前の体験談が寄せられました。照屋さんは本部町の山中に避難していました。 ...
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