「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
帰郷を望んだ晩年 浦添八重子さんの体験(5) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸雄さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんは戦後、首里の親類に育てられます。学校を出た後、バス会社勤務を経て和歌山県で暮らしました。 1962年、大阪生 ...
母生き残り、私が存在 浦添八重子さんの体験(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんは羽地村(現名護市)の田井等収容地区で母と祖母、妹を亡くしたと見られます。小島さんのお便りは次のように記しま ...
母ら亡くなり孤児に 浦添八重子さんの体験(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんら家族4人は那覇市首里から本島北部に避難しました。山中での避難生活を経て旧羽地村(現名護市)に米軍が設けた収 ...
家族4人で北部へ避難 浦添八重子さんの体験(2)母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんが暮らした那覇市首里は1944年夏以降、日本軍の駐屯が進みます。八重子さんの父、朝輔さんは召集され、家は日本 ...
那覇・楚辺で雑貨店構える 瀬長フミさんと亀次郞さんの体験(7) 母と父の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
疎開地の宮崎県延岡市から福岡を経て沖縄に戻った不屈館館長の内村千尋さん(78)=那覇市=らきょうだいと母フミさん、父で「うるま新報」社長の亀次郎さんは玉城村( ...
親子4人、沖縄に引き揚げる 瀬長フミさんと亀次郞さんの体験(6) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
不屈館館長の内村千尋さん(78)=那覇市=と母フミさんら家族4人は疎開先の宮崎県延岡市で厳しい生活を送っていました。「母は沖縄から持ってきた着物を農家に持って ...
宮崎と名護で「玉音」放送聞く 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(5) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
1945年8月15日、不屈館館長、内村千尋さん(78)=那覇市=は母の瀬長フミさんらと共に宮崎県延岡市で敗戦の日を迎えます。千尋さんのお便りは次のようにつづり ...
空襲の中、3人の子守る 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(4) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
不屈館館長の内村千尋さん(78)=那覇市=の母、瀬長フミさんは1944年8月、2人の子を連れて九州に疎開し、宮崎県延岡市にいた妹の八重さんの元に身を寄せます。 ...
流産覚悟で疎開船へ 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(3) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
不屈館館長の内村千尋さん(78)=那覇市=の母、瀬長フミさんは1944年8月、九州に疎開します。長女の瞳さん、次男の徹さんの3人で貨物船に乗り込みました。千尋 ...
文学少女だった母 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(2) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
不屈館館長の内村千尋さん(78)=那覇市=の母、瀬長フミさんは祖母に育てられ、1916年に佐敷尋常高等小学校に入学します。父の西村助八さんの転勤や母マカトさん ...
フミさんの父、55歳で他界 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(1) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>
米統治下で圧政と闘った政治家、瀬長亀次郎さんの次女、内村千尋さん(78)=那覇市=からお便りが届きました。内村さんは亀次郎さんが残した資料を展示し、戦後沖縄の ...
アフリカマイマイ食べ生きる 与那覇カヅさん(6) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
漁船で台湾を離れ、与那国島に着いた与那覇カヅさん(87)=那覇市=はその後、石垣島を経て、故郷の下地村野原(現宮古島市上野野原)に帰ることができました。 台 ...
小さな漁船で与那国へ 与那覇カヅさん(5) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
1945年8月の敗戦で日本の台湾統治は終わります。台湾の日本人社会は混乱に陥ります。宮古から台湾に疎開していた与那覇カヅさん(87)=那覇市=は帰郷を急ぎまし ...
わずかな食事で飢えしのぐ 与那覇カヅさん(4) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
下地村野原(現宮古島市上野野原)から台湾に疎開した与那覇カヅさん(87)=那覇市=の一家ら疎開者が最も苦労したのは食事でした。台湾で暮らした1年間、与那覇さん ...
「内地」の子に引け目 与那覇カヅさん(3) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
下地村野原(現宮古島市上野野原)から台湾に疎開した与那覇カヅさん(87)=那覇市=の一家は他の3家族と共に台湾北部の「台北州」の新荘郡で暮らします。「台北州」 ...
家族6人で宮古離れる 与那覇カヅさん(2) 台湾への疎開 <読者と刻む沖縄戦>
宮古島市上野野原に広がるサトウキビ畑 1944年7月、絶対国防圏の一角にあったサイパンの日本軍が壊滅します。日本政府は沖縄や奄美にいる女性やお年寄り、子どもた ...
進む日本軍の駐屯 与那覇カヅさん(1) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>
現在の宮古島市立上野小学校の校門 那覇市にお住まいの与那覇カヅさん(87)から台湾疎開の体験記が寄せられました。与那覇さんは現在の宮古島市上野野原の出身です。 ...
「ハノー」の名前忘れず 渡口輝雄さんの体験(4) 兄の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
那覇市垣花のウティンダ やんばるの収容地区にいた又吉永子さん(82)=那覇市=の家族は、兄の渡口輝雄さんが米兵からもらった食料で飢えをしのぎました。輝雄さんは ...
ごみ捨て場で食料探し 渡口輝雄さんの体験(3) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ 1945年の6月下旬、又吉永子さん(82)=那覇市=と兄の渡口輝雄さんら家族7人は久志村(現名護市)にいました。久志村の ...
馬車でやんばるに避難 渡口輝雄さんの体験(2) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
現在の那覇市西 那覇市西本町にあった又吉永子さん(82)=那覇市=や兄の渡口輝雄さんが暮らしていた家、父健次郎さんが働いていた食堂が1944年10月の10・1 ...
「空襲がある」うわさ広がる 渡口輝雄さんの体験(1) 兄の戦争<読者と刻む沖縄戦>
又吉 永子さん 那覇市長田にお住まいの又吉永子さん(82)から、昨年他界した兄の渡口輝雄さんの戦争体験記が届きました。渡口さんは生前、自身の体験を書き残してい ...
「月桃」歌い平和祈る日々 与座ツルさん(4) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
愛唱歌の「月桃」を歌う与座ツルさん 沖縄戦で母かめさんを失った与座ツルさん(98)=本部町=は辺名地で戦後の歩みを始めます。マラリアに苦しんだこともありました ...
艦砲射撃で母失う 与座ツルさん(3) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
本部半島の採石場 与座ツルさん(98)=本部町=は疎開先の福岡市博多区住吉で終戦を迎えます。ポツダム宣言の受諾を伝える天皇のラジオ放送で敗戦を知りました。 ...
医師家族と福岡へ疎開 与座ツルさん(2) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>
現在の本部町渡久地 1941年12月、与座ツルさん(98)=本部町=が16歳の頃、太平洋戦争が始まります。緒戦は日本軍の優勢が続きますが、42年6月のミッドウ ...
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