「沖縄戦」の記事一覧
戦況悪化、北部へ逃避行 喜屋武貞子さん(1) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
那覇市首里久場川町にお住まいの喜屋武貞子さん(84)から、母の稲嶺千枝さんの沖縄戦体験記をいただきました。一家は越来村(現沖縄市)から久志村(現名護市)に避難し ...
教科書にない沖縄戦…「自分ごとに」 県外で遺品展示、福岡の男性が活動に幕 きっかけは遺骨収集への参加
福岡県に住む軸屋良太さん(38)=会社役員=は、今も戦争の爪痕が残る沖縄の実情を知ってほしいと、2015年から沖縄戦犠牲者の遺骨や遺品の展示会を県外で開いてき ...
ふるさと、金網の向こうに 山城幸子さん(9)10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
山城幸子さん(88)=那覇市=は目が不自由で、鍼灸(しんきゅう)師の資格を持つ山城真一さんと結婚し、市内で治療院を開院します。苦労を重ねながら2人の子どもに恵 ...
<未来に伝える沖縄戦>兄が疎開を拒み小禄で死去 米軍機の進路見て逃げ惑う 照喜名マサ子さん(85)
2023/10/18
#未来に伝える沖縄戦
那覇市銘苅に住む照喜名マサ子さん(85)(旧姓・新垣、現・大井)は、那覇市西新町(現・那覇市辻、西)で育ち、沖縄戦の前年の1944年夏ごろ、家族と熊本県上益城 ...
那覇出身者の集落「金武湾」 山城幸子さん(8) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
マラリアで祖父を失った山城幸子さん(88)=那覇市=は具志川村(現うるま市具志川)に終戦直後生まれた「金武湾」という集落に移ります。 金武湾は米軍の港湾業務に ...
沖縄戦 何を描いても頭を離れず 新里堅進さん 漫画家45周年 見えない力に押されてきた
「沖縄決戦」や「ハブ捕り」などを書いた漫画家の新里堅進さん(76)のデビュー45周年を記念したトークイベントが14日、那覇市のブックカフェ&ホールゆかるひであ ...
スパイ疑われ 食料失う 山城幸子さん(5) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
1945年3月末、豊見城村(現豊見城市)根差部を出た山城幸子さん(88)=那覇市=ら7人は宜野湾、金武を経て、4月上旬ごろ、大宜味村喜如嘉にたどり着きます。 ...
「米を焼く」日本兵に不信感 山城幸子さん(4) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
10・10空襲に遭い、那覇市住吉町から豊見城村(現豊見城市)根差部に避難していた山城幸子さん(88)=那覇市=ら7人は1945年3月末ごろ、本島北部に向かいま ...
10・10空襲で沈没 日本軍の潜水母艦「迅鯨」犠牲者135人を追悼 沖縄・本部で慰霊祭
【本部】1944年に米軍が県内各地を爆撃した「10・10空襲」から10日で79年を迎えた。特に被害が大きかった那覇市は、米軍機による無差別爆撃で街の9割が焼失 ...
無差別攻撃、街は火の海 山城幸子さん(1) 10・10空襲、私の体験<読者と刻む沖縄戦>
那覇市辻にお住まいの山城幸子さん(88)から「10・10空襲の体験をお話ししたい」というお電話をいただきました。当時、垣花国民学校の3年生だった山城さんは那覇市 ...
少年が見た戦中の沖縄 65日分の記録、暮らし多岐に 読めなかった答辞、日本軍機の特攻をスケッチ…
2023/10/09
#10・10空襲
国頭村出身で大阪沖縄県人会連合会会長を歴任した真栄田義弘さんの遺稿を弟の克裕さん(87)=那覇市=が今月出版した「小国民の戦争体験記」。収められた65日分の記 ...
少年が目撃した「10・10空襲」克明に 国頭出身・真栄田義弘さん遺稿、弟が出版 国頭での戦の実相伝える
1944年に米軍が県内各地を爆撃した「10・10空襲」から10日で79年を迎える。沖縄戦の始まりとも言われる空襲を国頭村辺土名で目撃した当時13歳の少年の日記 ...
友人、いとこ、同僚、皆に愛され戦後を生きる 戦争孤児・浦添さん 連載「読者と刻む沖縄戦」に読者から情報提供
9月19日~23日に掲載した「母の戦争 読者と刻む沖縄戦」の中で、那覇市首里金城町で生まれ、戦災孤児となった浦添八重子さんの情報を呼び掛けたところ、2人の読者 ...
戦争が起きたら逃げられない 真壁政勇さん(下) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
激戦地に落ちていた腕輪や羅針盤、2個のメダルを保管する真壁政勇さん(80)=糸満市=は1943年10月、玉城村仲栄真(現南城市玉城中山)で生まれました。父の仙 ...
従軍記章と師範学校のメダル 真壁政勇さん(中) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
真壁政勇さん(79)=糸満市=の手元にある「戦場の落とし物」はほかにもあります。2枚のメダルです。 一つは円形で、表面には菊紋と桐紋、2本の旭日旗が交差して ...
腕輪と羅針盤「持ち主に返したい」 真壁政勇さん(上) 戦場の落とし物<読者と刻む沖縄戦>
糸満市真壁の真壁政勇さん(79)から「戦争中、米兵が落とした物があります。持ち主を探しています」という連絡をいただきました。 ...
祖父と大叔父の最期知りたい 石垣栄一さん(1) 島の戦争 <読者と刻む沖縄戦>
沖縄市にお住まいの石垣栄一さん(76)から「風化させるなかれ 陸軍白保飛行場」と題した資料が届きました。石垣さんの祖父と大叔父はこの飛行場で亡くなりました。 ...
帰郷を望んだ晩年 浦添八重子さんの体験(5) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸雄さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんは戦後、首里の親類に育てられます。学校を出た後、バス会社勤務を経て和歌山県で暮らしました。 1962年、大阪生 ...
母生き残り、私が存在 浦添八重子さんの体験(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんは羽地村(現名護市)の田井等収容地区で母と祖母、妹を亡くしたと見られます。小島さんのお便りは次のように記しま ...
母ら亡くなり孤児に 浦添八重子さんの体験(3) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんら家族4人は那覇市首里から本島北部に避難しました。山中での避難生活を経て旧羽地村(現名護市)に米軍が設けた収 ...
轟の壕 糸満市が内部映像を公開へ 落石や崩落の恐れ受け
【糸満】沖縄戦で住民や敗残兵ら千数百人が避難した糸満市の「轟の壕」について、市は内部映像を撮影し市ホームページ(HP)で公開する事業に本年度着手する。 入り ...
家族4人で北部へ避難 浦添八重子さんの体験(2)母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんが暮らした那覇市首里は1944年夏以降、日本軍の駐屯が進みます。八重子さんの父、朝輔さんは召集され、家は日本 ...
沖縄戦の実相学び合う場に ハワイ開催のひめゆり特別展を報告
【糸満】ひめゆり平和研究所が2、3日に米ハワイ・ホノルルで開催した特別展「ひめゆりとハワイ」の報告会が19日、糸満市のひめゆり平和祈念資料館であった。展示会場 ...
戦火の中どう生き抜いたのか 浦添八重子さんの体験(1) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>
大阪市にお住まいの小島幸夫さん(58)からお便りをいただきました。那覇市首里で生まれ、戦後は大阪で暮らし、9年前に他界した母の沖縄戦体験についてのお問い合わせ ...
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