「沖縄戦」の記事一覧
弟亡くし2人で孤児院へ 宮城定吉さん 収容所で(39)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/03
#収容所で
現在の糸満市新垣の集落 両親と祖母、5歳の弟を米軍の砲撃などで失い、宮城定吉さん(85)=那覇市、妹の敏子さん、乳飲み子の弟定宗さんの3人が戦場に残されました ...
砲弾破片、母の命奪う 収容所で(38)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/02
#収容所で
軽便鉄道の線路があった糸満市与座のサトウキビ畑 1945年5月末、南風原村(現南風原町)新川を離れ宮平の民家に避難していた宮城定吉さん(85)=那覇市=と母ウ ...
砲弾炸裂 弟の額に破片 収容所で(37)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/01
#収容所で
那覇市首里赤田町と南風原町新川の境を流れる安里川 父の次郎さん、祖母のカメさんを亡くした宮城定吉さん(85)=那覇市=と家族は南風原村(現南風原町)新川で避難 ...
対馬丸記念館、6日再開 コロナで臨時休館
2020/09/01
#対馬丸
対馬丸記念館の内部 新型コロナウイルスの影響で臨時休館している那覇市の対馬丸記念館は、9月6日から開館する。休館中も、企画展示室で開催している宮森小米軍ジェ ...
祖母と父が亡くなる 宮城定吉さん 収容所で(36)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/31
#収容所で
現在の南風原町新川 1945年3月末、米軍は沖縄本島上陸を前に空襲と艦砲射撃を開始します。南風原村(現南風原町)新川で暮らしていた宮城定吉さん(85)=那覇市 ...
父、疎開反対「死ぬ時は一緒」 宮城定吉さん 収容所で(35)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/30
#収容所で
宮城定吉さん 那覇市の宮城定吉さん(85)から「戦災孤児の戦後」と題した体験記をいただきました。宮城さんは南風原町で生まれ、沖縄戦で両親や2人の弟、祖母を失い ...
「今の平和 ずっと守って」 豊永スミ子さん 収容所で(34)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/28
#収容所で
現在の西原町棚原の集落 叔父や祖父母をマラリアで失い、自身もマラリアで苦しんだ豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=や家族は久志村(現名護市)嘉陽から現在の西原町 ...
マラリア犠牲、悲しみ癒えず 豊永スミ子さん 収容所で(33)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/27
#収容所で
名護市嘉陽の一般廃棄物最終処分場に向かう道路。マラリアの犠牲者が埋葬された 豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=は久志村(現名護市)で叔父と祖母に続き、祖父をマ ...
マラリアの脅威 祖父にも 豊永スミ子さん 収容所で(32)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/26
#収容所で
現在の名護市嘉陽の集落 豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=らがいた久志村(現名護市)嘉陽でマラリアが広がります。負傷した豊永さんを案じた叔父が亡くなり、その後 ...
<金口木舌>悲喜こもごもの「ハワイやっさー」
2020/08/25
#世界のウチナーンチュ
「ハワイやっさー」という表現を教えてくれたのは、うちなー噺家(はなしか)の藤木勇人さんであった。普久原明さんと故登川誠仁さんの掛け合いが楽しい霊園のCMにも出 ...
叔父と祖母、マラリアで他界 豊永スミ子さん 収容所で(31)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/25
#収容所で
現在の名護市嘉陽の集落 豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=の家族が暮らす久志村(現名護市)嘉陽に同じ久志村の汀間から叔父の家族がやってきました。「私たちが嘉陽 ...
米兵への恐怖心 消えず 豊永スミ子さん 収容所で(30)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/24
#収容所で
旧嘉陽小学校。米軍の部隊が使用した 摩文仁村(現糸満市)摩文仁で米軍に捕らわれ、収容地区となった久志村(現名護市)嘉陽のテント小屋にいた豊永スミ子さん(81) ...
久米島の「6・23」以後 問い掛ける「痛恨之碑」<おきなわ巡考記>藤原健(本紙客員編集委員)
2020/08/23
#おきなわ巡考記
75年前の9月7日。沖縄本島・越来村森根の米軍司令部前広場で、南西諸島の日本軍の代表3人が降伏文書に調印した。この日、久米島でも日本軍が投降し、指揮官の鹿山正 ...
「やっぱり捨てられたんだ」 豊永スミ子さん 収容所で(29)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/23
#収容所で
名護市嘉陽と安部の間にある海岸 父と弟を失い、米軍に捕らわれた豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=と家族は糸満で米軍に捕らわれ、久志村(現名護市)の収容地区に送 ...
糸満から米軍船で久志へ 豊永スミ子さん 収容所で(28)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/22
#収容所で
現在の糸満市摩文仁の集落 父の小波津三良さん、2歳の弟政文さんを失い、豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=と母ウシさん、4歳の妹マサ子さんはぼうぜんとします。 ...
対馬丸撃沈76年 「父を返して」癒えぬ喪失 船ではぐれ、遺品も遺骨もなく
2020/08/22
#学童疎開
児童や一般の疎開者を乗せた輸送船「対馬丸」が米軍魚雷の攻撃によって沈没してから22日で76年。那覇市若狭の対馬丸記念館では、今年9人の遺影が新たに掲げられた。 ...
父と弟を砲弾で失う 豊永スミ子さん 収容所で(27)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/21
#収容所で
現在の糸満市真栄平の集落 西原村(現西原町)の壕を出た豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=の家族5人は南風原村、東風平村(現八重瀬町)を経て糸満に至ります。東風 ...
悲劇、誰にも話さなかった 妻子5人失った元村長の戦後 対馬丸撃沈
2020/08/21
#対馬丸
祖父の写真を見ながら思い出を語る渡名喜元嗣さん=18日、南城市佐敷 対馬丸の撃沈で妻子5人を失った悲しみを日記に書き残した渡名喜元秀さん(当時51歳)。戦後は ...
沖縄戦「収容所から帰郷」体験談を募集 9月5日締め切り
2020/08/20
#沖縄戦
各地の収容地区で収容されていた人々の帰郷が1945年末から徐々に始まります。住民は焼け野原に仮設住宅を建て、故郷の復興に踏み出しました。 米軍が土地を占有し ...
日本兵に驚き、壕出る 豊永スミ子さん 収容所で(26)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/20
#収容所で
かつての村役場の地にある慰霊碑「西原の塔」 豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=の父、小波津三良さんは米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日以降も西原村(現 ...
「犠牲者、家族一緒に」 対馬丸記念館 遺影並び替え
2020/08/20
#対馬丸
対馬丸事件で亡くなった犠牲者の遺影を並び替える学芸員の外間功一さん(右)と渡名喜琴音さん=19日、那覇市若狭の対馬丸記念館 太平洋戦争中に児童や一般の疎開者を ...
戦争に備え、壕掘る 豊永スミ子さん 収容所で(25)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/19
#収容所で
豊永スミ子さん 嘉手納町の豊永スミ子さん(81)から体験記が届きました。豊永さんは西原町の出身です。父と弟を砲撃で失います。名護市久志の収容地区ではマラリアに ...
米軍通訳兵と70年ぶり再会 與儀喜省さん 収容所で(24)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/18
#収容所で
オクムラさん(右)と再会した與儀喜省さん=2015年4月1日、名護市瀬嵩区 沖縄群島政府文教部に勤めた與儀喜省さんは屋良朝苗文教部長の下で校舎建築を担当します ...
うずく歴史に「修正」重ね 日本軍の記憶に隔絶感<沖縄の記者がみた東京の8・15点描>
【靖国神社と日本武道館で滝本匠と知念征尚】 戦後75年の夏は例年と大きく状況が変わった。周知のように新型コロナウイルスの感染が収まらない中、沖縄や広島、長崎で ...
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