「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
玉音放送、涙流し聴く 中島政彦さん 故郷へ帰る(18)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/17
#故郷へ帰る
台中州の台中第二中学校に通っていた中島政彦さん(89)=那覇市=は「天皇陛下の赤子」として国に尽くすことを決意していました。中学2年の時、陸軍少年飛行兵学校の ...
台中二中入学、寮生活送る 中島政彦さん 故郷へ帰る(17)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/16
#故郷へ帰る
台湾・台中州で暮らしていたころの中島政彦さん(左端) 中島政彦さん(89)=那覇市=は1943年、台中州の国民学校を卒業し、台中第二中学校に入学します。「あこ ...
遊びの中に「兵隊ごっこ」 中島政彦さん 故郷へ帰る(16)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/15
#故郷へ帰る
台湾で暮らしていたころの中島さん一家。左から3人目が政彦さん 相次ぐ戦争の渦中、台中州で生まれ育った中島政彦さん(89)=那覇市=は地元の小学校に通います。軍 ...
台湾で生まれ、戦争渦中に 中島政彦さん 故郷へ帰る(15)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/14
#故郷へ帰る
中島政彦さん 那覇市の中島政彦さん(89)から体験記が届きました。中島さんは生まれ育った台湾で1945年8月の敗戦を迎え、翌年12月に父の生まれ故郷、首里に引 ...
住民同士で助け合い生活 当真嗣寿雄さん 故郷へ帰る(14)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/12
#故郷へ帰る
現在の那覇市楚辺。敗戦後、規格住宅が建ち並んだ 規格住宅が建ち並ぶ港湾作業員の居住地みなと村で、当真嗣寿雄さん(77)=那覇市=の家族は周囲の住民と知恵を出し ...
みんな貧乏していた 当真嗣寿雄さん 故郷へ帰る(13)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/11
#故郷へ帰る
当真嗣寿雄さん(77)=那覇市=が暮らしていた真和志村(現那覇市)楚辺に1947年から50年までの3年間、那覇港の業務を円滑に進めるための特別な行政自治体「み ...
屋根と壁はテントのカバー 当真嗣寿雄さん 故郷へ帰る(12)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/10
#故郷へ帰る
久志村(現名護市)から真和志村(現那覇市)楚辺に引き揚げてきた当真嗣寿雄さん(77)=那覇市=が住んだ規格住宅は、戦後の文化財保護に力を尽くした建築家・仲座久 ...
那覇に引き揚げ、規格住宅へ 当真嗣寿雄さん 故郷へ帰る(11)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/09
#故郷へ帰る
現在の名護市久志の集落 10・10空襲に遭い、久志村(現名護市)の久志集落に避難した当真嗣寿雄さん(77)=那覇市=の家族は、敗戦後も久志での生活を続けます。 ...
空襲で家焼失、久志へ 当真嗣寿雄さん 故郷へ帰る(10)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/08
#故郷へ帰る
現在の那覇市久茂地1丁目付近 那覇市の当真嗣寿雄さん(77)からお便りが届きました。沖縄戦の間、疎開先の久志村で暮らし、戦後、那覇市に引き揚げてきました。隣近 ...
戦跡、引き継ぐべき財産 宜保光明さん 故郷へ帰る(9)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/07
#故郷へ帰る
現在の豊見城市座安。宜保さんは避難壕の保存を求めている 豊見城村(現豊見城市)座安に戻った宜保光明さん(76)=豊見城市=ら家族の元に、防衛隊として戦場に駆り ...
戦後も命失われる 宜保光明さん 故郷へ帰る(8)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/06
#故郷へ帰る
現在の豊見城座安。野菜畑、ビニールハウスが広がる 各地の収容地区などから戻った豊見城村(現豊見城市)座安の住民は、集落の復興にいそしみます。宜保光明さん(76 ...
水路機能失い生活困窮 宜保光明さん 故郷へ帰る(7)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/05
#故郷へ帰る
現在の豊見城市座安、渡橋名 宜保光明さん(76)=豊見城市=は家族と共に読谷村大木から米軍のトラックに乗って故郷の豊見城村座安に戻ります。集落に通じる道は通行 ...
家族と合流、読谷大木へ 宜保光明さん 故郷へ帰る(6)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/04
#故郷へ帰る
「故郷へ帰る 読者と刻む沖縄戦」/ 野戦病院が置かれた諸見小学校の周辺 真壁村(現糸満市)名城の海岸で米軍に捕らわれた宜保光明さん(76)=豊見城市=は上陸用 ...
名城で米兵に捕らわれる 宜保光明さん 故郷へ帰る(5)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/03
#故郷へ帰る
糸満市名城の海岸 家族6人で南部の激戦地をさまよった宜保光明さん(76)=豊見城市=は大里でも米軍の猛攻にさらされ、玉城(現南城市玉城)へ向かいます。食糧も不 ...
米軍標的地、山川橋渡る 宜保光明さん 故郷へ帰る(4)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/02
#故郷へ帰る
南風原町の山川橋周辺 豊見城村(現豊見城市)座安の丘陵地ウィードゥギの壕に隠れていた宜保光明さん(76)=豊見城市=ら家族6人は米軍の猛攻が迫り、島尻へと逃れ ...
人手、道具なく壕掘り 宜保光明さん 故郷へ帰る(3)<読者と刻む沖縄戦>
2020/10/01
#故郷へ帰る
座安住民の避難壕が掘られたウィードゥギ 日本軍が陣地壕の構築を進めている豊見城村(現豊見城市)座安の若知花森(わかちばなもー)の裏手にある丘陵ウィードゥギ(イ ...
陸軍が集落周辺に陣地壕 宜保光明さん 故郷へ帰る(2)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/30
#故郷へ帰る
豊見城市座安の集落。背後の丘が若知花森 豊見城村(現豊見城市)は海軍司令部壕(海軍壕)、与根飛行場などの日本軍の軍事拠点が築かれた地です。宜保光明さん(76) ...
家族17人、集落に暮らす 宜保光明さん 故郷へ帰る(1)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/29
#故郷へ帰る
宜保光明さん 豊見城市の宜保光明さん(76)から体験記が届きました。本島南部の戦場をさまよった宜保さん家族は現在の糸満市名城で米軍に捕らわれ、収容所を転々と ...
慰霊碑に家族の名刻まれる 金城潔さん 収容所で(60)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/25
#収容所で
「国場慰霊の塔」の刻銘板に刻まれた金城さんの家族の名前 各地の収容地区にいた真和志村(現那覇市)の住民に対し米軍は1946年1月18日、摩文仁村(現糸満市)米 ...
那覇の惨状目の当たりに 金城潔さん 収容所で(59)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/24
#収容所で
中川小学校の正門。1945年7月に開校した 金城潔さん(89)=那覇市=が食糧を求めて金武村(現金武町)中川の収容所から米軍のごみ捨て場に通ったのは3回ほどで ...
食糧求め、ごみ捨て場へ 金城潔さん 収容所で(58)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/23
#収容所で
家族を失い、金武村(現宜野座村)福山の収容所にいた金城潔さん(89)=那覇市=は1945年8月上旬、親類家族の兄さんに連れられて同じ金武村の中川収容所に向かい ...
収容所に迎えに来た親類 金城潔さん 収容所で(57)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/22
#収容所で
福山収容所に設けられた診療所、孤児院、養老院の跡地 米軍の砲撃などで家族や親類10人を失った金城潔さん(89)=那覇市=は1945年6月中旬、高嶺村(現糸満市 ...
至近弾 家族5人の命奪う 金城潔さん 収容所で(56)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/21
#収容所で
現在の糸満市真栄里の集落 真和志村(現那覇市)の国場を離れ、共に島尻を目指していた親類4人を米軍の砲撃で失い、戦場をさまよった金城潔さん(89)=那覇市=は父 ...
米軍砲撃 親類4人犠牲に 金城潔さん 収容所で(55)<読者と刻む沖縄戦>
2020/09/20
#収容所で
現在の八重瀬町友寄の集落 米軍上陸後も真和志村(現那覇市)国場の壕に避難していた金城潔さん(89)=那覇市=は米軍が迫り、親類の家族と共に島尻を目指します。 ...
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