「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
「やっぱり捨てられたんだ」 豊永スミ子さん 収容所で(29)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/23
#収容所で
名護市嘉陽と安部の間にある海岸 父と弟を失い、米軍に捕らわれた豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=と家族は糸満で米軍に捕らわれ、久志村(現名護市)の収容地区に送 ...
糸満から米軍船で久志へ 豊永スミ子さん 収容所で(28)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/22
#収容所で
現在の糸満市摩文仁の集落 父の小波津三良さん、2歳の弟政文さんを失い、豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=と母ウシさん、4歳の妹マサ子さんはぼうぜんとします。 ...
父と弟を砲弾で失う 豊永スミ子さん 収容所で(27)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/21
#収容所で
現在の糸満市真栄平の集落 西原村(現西原町)の壕を出た豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=の家族5人は南風原村、東風平村(現八重瀬町)を経て糸満に至ります。東風 ...
日本兵に驚き、壕出る 豊永スミ子さん 収容所で(26)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/20
#収容所で
かつての村役場の地にある慰霊碑「西原の塔」 豊永スミ子さん(81)=嘉手納町=の父、小波津三良さんは米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日以降も西原村(現 ...
戦争に備え、壕掘る 豊永スミ子さん 収容所で(25)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/19
#収容所で
豊永スミ子さん 嘉手納町の豊永スミ子さん(81)から体験記が届きました。豊永さんは西原町の出身です。父と弟を砲撃で失います。名護市久志の収容地区ではマラリアに ...
米軍通訳兵と70年ぶり再会 與儀喜省さん 収容所で(24)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/18
#収容所で
オクムラさん(右)と再会した與儀喜省さん=2015年4月1日、名護市瀬嵩区 沖縄群島政府文教部に勤めた與儀喜省さんは屋良朝苗文教部長の下で校舎建築を担当します ...
沖縄民政府文教部に就職 與儀喜省さん 収容所で(23)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/16
#収容所で
與儀さんが暮らした旧石川市の3区周辺 與儀喜省さん(101)=那覇市=は1946年1月14日、久志村(現名護市)の瀬嵩収容地区から糸満へ移ります。與儀さんはテ ...
妻が収容所内で出産 與儀喜省さん 収容所で(22)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/15
#収容所で
米軍の司令部が置かれた旧久志小学校 與儀喜省さん(101)は親類に会うため訪れた宜野座で1945年8月15日の敗戦を知ります。 《皇国不滅不敗の念が強かった ...
収容地区内に小学校 與儀喜省さん 収容所で(21)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/14
#収容所で
子どもたちが学んだ名護市瀨嵩の砂浜 大宜味村や久志村(現名護市)の山中で避難生活を送っていた與儀喜省さん(101)=那覇市=は瀨嵩の収容地区で戦後の歩みを始め ...
食べ物に平和を実感 與儀喜省さん 収容所で(20)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/13
#収容所で
現在の瀬嵩御宮の入り口 與儀喜省さん(101)=那覇市=がいた久志村(現名護市)安部に1945年7月上旬、米軍がやってきます。米軍は避難民を1カ所に集め、「戦 ...
「友軍進撃」噂に惑わされる 與儀喜省さん 収容所で(19)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/12
#収容所で
現在の名護市安部集落 1945年3月末、家族と共に大宜味村津波に避難した與儀喜省さん(101)=那覇市=は山中でさまざまな噂を聞きます。「戦況は有利に展開して ...
迫る米軍、山奥に避難 與儀喜省さん 収容所で(18)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/11
#収容所で
大宜味村の平南川。上流に避難小屋が造られた 高嶺村(糸満市)大里から避難してきた與儀喜省さん(101)=那覇市=は大宜味村津波の平南川沿いに造られた避難小屋に ...
艦砲射撃の中、大宜味へ疎開 與儀喜省さん 収容所で(17)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/10
#収容所で
現在の糸満市大里の集落 與儀喜省さん(101)=那覇市=が暮らす高嶺村(現糸満市)の北部疎開第一陣は1945年3月18日のことです。指定の疎開先は大宜味村でし ...
那覇の惨状に呆然 與儀喜省さん 収容所で(16)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/09
#収容所で
旧報得橋の一部。近くに糸満国民学校の壕があった 10・10空襲から2日後の1944年10月12日、與儀喜省さん(101)=那覇市=は、義妹の安否を確認するため ...
家族避難させ、学校向かう 與儀喜省さん 収容所で(15)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/08
#収容所で
與儀喜省さん 101歳の與儀喜省さんから体験記が届きました。與儀さんは糸満市の出身で那覇市在住、現在は南風原町内の老人施設で暮らしています。北部の山中をさまよ ...
ふるさと今も金網の向こうに 山入端立雄さん 収容所で(14)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/07
#収容所で
現在の嘉手納町中央区コミュニティーセンター 古知屋収容地区で暮らしていた山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族は1945年10月ごろ、嘉手納町嘉手納に移動しま ...
生家戻るも焼け跡に 山入端立雄さん 収容所で(13)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/06
#収容所で
現在の松田小学校 1945年8月、山入端立雄さん(85)=読谷村=は現在の宜野座村に置かれた古知屋収容地区で日本の敗戦を知ります。風呂に入るため、ドラム缶でお ...
「捕虜」になった認識なく 山入端立雄さん 収容所で(12)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/05
#収容所で
「古知屋市」が置かれた現在の宜野座村松田 米軍は山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族が避難した古知屋前原(現在の宜野座村松田)を収容地区とします。1945年 ...
避難民増え、古知屋前原へ 山入端立雄さん 収容所で(11)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/05
#収容所で
現在の名護市仲尾次。北谷村の羽地分所が置かれた 北谷村(現嘉手納町)兼久を離れ、疎開先の羽地村(現名護市)に着いた山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族は、中 ...
空襲激化、父が避難先探す 山入端立雄さん 収容所で(9)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/03
#収容所で
嘉手納マリーナ内にある野國總管の墓 米軍の沖縄上陸が迫る1945年2月、県は沖縄本島中南部住民の「北部疎開」計画を立て、県内市町村に伝えます。当時の北谷村は羽 ...
北谷から金武、羽地に避難 山入端立雄さん 収容所で(10)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/03
#収容所で
鍾乳洞のある金武観音寺 北谷村(現嘉手納町)兼久の海岸近くにある按司墓の壕に避難していた山入端立雄さん(85)=読谷村=の家族は米軍上陸前日の1945年3月3 ...
10・10空襲、自宅に機銃掃射 山入端立雄さん 収容所で(8)<読者と刻む沖縄戦>
2020/08/01
#収容所で
かつて兼久集落があった地は嘉手納基地となった 1944年10月の10・10空襲で、米軍は中飛行場と北飛行場を攻撃します。この日、山入端立雄さん(85)=読谷村 ...
ウフヤーの離れに「慰安所」 山入端立雄さん 収容所で(7)<読者と刻む沖縄戦>
2020/07/31
#収容所で
山入端立雄さん 読谷村の山入端立雄さん(85)から体験記が届きました。山入端さんは米軍上陸の前夜、北谷村(現嘉手納町)兼久から羽地村(現名護市)に避難します。 ...
父の諭し、戦後生きる支えに 岳原初子さん 収容所で(6)<読者と刻む沖縄戦>
2020/07/30
#収容所で
現在の赤道小学校周辺 石川から具志川村(現うるま市)赤道に移った後も岳原初子さん(86)=沖縄市=はマラリアに苦しみました。 「もう自分はそんなに長く生きら ...
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