「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
学校で「軍神」教育徹底 根保幸德さん 島の戦争(15)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/31
#島の戦争
ハギドゥマイ浜近くの海岸。沖に浜比嘉島が浮かぶ 1943年、ガダルカナル島で亡くなった与那国島出身の兵士、大舛松市さんを「軍神」とたたえ、戦意高揚を図る「大舛 ...
戦争準備に明け暮れる 根保幸徳さん 島の戦争(14)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/30
#島の戦争
出征兵士を見送った宮城島のハギドゥマイ浜 戦争が近づき、根保幸徳さん(87)=うるま市=が住んでいた宮城島の生活は変化していきます。 《島の多くの男性は徴兵 ...
空襲備え防空壕づくり 根保幸徳さん 島の戦争(13)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/29
#島の戦争
根保さん家族は宮城集落の東側にある崖下の壕に避難した 根保幸德さん(87)=うるま市=が住んでいた宮城島でも空襲に備え、学校以外でも防空壕の構築が始まります。 ...
軍歌聴きながらイモの昼食 根保幸徳さん 島の戦争(12)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/27
#島の戦争
2012年に廃校となった宮城小学校の跡地に残る記念碑 根保幸德さん(87)=うるま市=が通っていた宮城尋常高等小学校(1941年に宮城国民学校に改称)は軍国教 ...
校長訓話で日米開戦知る 根保幸徳さん 島の戦争(11)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/27
#島の戦争
根保幸徳さん うるま市与那城宮城にお住まいの根保幸徳さん(87)から体験記をいただきました。根保さんは生まれ育った宮城島で沖縄戦を体験しました。島では激しい地 ...
波照間、552人マラリア犠牲に 本田昭正さん 島の戦争(10)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/26
#沖縄戦
「忘勿石之碑」に向かい鎮魂歌をささげる八重山戦争マラリア遺族会の役員=2019年9月 本田昭正さん(86)=浦添市=ら波照間住民を苦しめたマラリアが収束したの ...
ソテツ食べ飢えしのぐ 本田昭正さん 島の戦争(9)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/25
#沖縄戦
戦争マラリアで亡くなった児童を悼む学童慰霊碑。碑文には山下軍曹の行為を「忘れはしない」と刻まれている 1945年8月以降、波照間住民の間でマラリアがまん延し、 ...
マラリアが猛威、死者続出 本田昭正さん 島の戦争(8)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/24
#沖縄戦
波照間島の海岸線。島でマラリアがまん延し、死者が続出した=2017年 西表島の南風見や由布島に疎開していた波照間島の住民は1945年8月までに島へ帰ります。本 ...
住民、波照間へ帰島 本田昭正さん 島の戦争(7)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/23
#島の戦争
波照間国民学校長、敷名信升さんが岩に刻んだ「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字=2019年 日本軍の残置諜報員、山下虎雄軍曹の命令で、本田昭正さん(86)=浦添 ...
南風見でマラリア広がる 本田昭正さん 島の戦争(6)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/22
#島の戦争
由布島の水牛車。復帰後、島は観光地となった=1985年11月 陸軍中野学校出身の残置諜報員、山下虎雄軍曹に疎開を命じられ、波照間島から西表島東部の由布島に渡っ ...
南風見と由布島に分散疎開 本田昭正さん 島の戦争(5)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/20
#沖縄戦
波照間島住民の疎開地となった西表島南風見の海岸=2019年 波照間住民の疎開は1945年4月に強行されます。大半の住民は波照間島の対岸に位置する西表島の南風見 ...
マラリア有病地へ疎開命令 本田昭正さん 島の戦争(4)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/19
#沖縄戦
波照間島の畑地=2017年 1944年末、波照間島に1人の兵士がやってきます。「山下虎雄」と名乗る軍曹で、陸軍中野学校を卒業した残置諜報員です。山下虎雄は偽名 ...
波照間島も連日の空襲 本田昭正さん 島の戦争(3)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/18
#沖縄戦
波照間島の「戦争マラリア」の悲劇を描いた劇を演じる生徒ら=1989年11月、波照間小中学校体育館 1945年1月、波照間島も空襲に遭います。本田昭正さん(86 ...
「台湾沖航空戦」で住民避難 本田昭正さん 島の戦争(2)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/18
#島の戦争
波照間小中学校の児童生徒による慰霊祭=2012年6月 本田昭正さん(86)=浦添市=が生まれ育った竹富町の波照間島はカツオ漁と米や麦、アワなどの雑穀、サツマイ ...
波照間でも軍国教育徹底 本田昭正さん 島の戦争(1)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/17
#島の戦争
戦争マラリア忘勿石の碑の除幕式(1992年8月15日) 76年前の沖縄戦の最中、八重山の島々で「戦争マラリア」の悲劇が起きました。日本軍の命令によってマラリア ...
捕らわれ収容所へ 妹の行方探す 大嶺管さん 捕らわれた日(4)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/12
#捕らわれた日
糸満市の平和の礎。妹の大城フサ子さん、父の蒲助さんらの名が刻まれている 大嶺管(すが)さん(90)=糸満市=は1945年6月末、現在の糸満市喜屋武で米軍に捕ら ...
日本兵に迫られ、妹置き去りに 大嶺管さん 捕らわれた日(3)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/11
#捕らわれた日
糸満市喜屋武公園の近くに残る屋敷跡のヒンプン 大嶺管(すが)さん(90)=糸満市=は4歳の妹、フサ子さんを背負い、米軍が迫る豊見城村(現豊見城市)の翁長集落か ...
家族ばらばらで南部に避難 大嶺管さん 捕らわれた日(2)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/10
#捕らわれた日
現在の豊見城市翁長の集落 大嶺管(すが)さん(90)=糸満市=が暮らしていた豊見城村(現豊見城市)翁長の住民は陣地構築などの勤労奉仕に動員されるようになります ...
翁長集落に武部隊が駐屯 大嶺管さん 捕らわれた日(1)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/09
#捕らわれた日
大嶺管さん 糸満市潮平の大嶺管(すが)さん(90)から「どうしても忘れることができないことがある。そのことをお伝えしたい」というお電話をいただきました。本島南 ...
戦後も続く疎開地との交流 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(9)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/07
#読者と刻む沖縄戦
現在の南風原町宮平の集落 疎開地の宮崎県から戻った赤嶺松栄さん(85)=南風原市=の家族は父松助さんを失った失意の中で宮平で戦後の暮らしを踏み出します。 《 ...
故郷は「ぬーんねーらん」 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(8)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/06
#住民の疎開
現在の南風原町宮平 赤嶺松栄さん(85)=南風原=ら家族4人は敗戦から約1年後の1946年9月、沖縄に戻ります。高岡国民学校の友だちとも別れの日が来ました。 ...
疎開先で敗戦 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(7)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/04
#住民の疎開
赤嶺松助さんの手紙。「しっかり勉強して」と記されている 赤嶺松栄さん(85)=南風原町=は父松助さんの人柄を「優しく子どもをしつける父でした。がみがみ言うこと ...
沖縄の父から便り届く 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(6)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/04
#住民の疎開
沖縄に残った赤嶺松助さんから松栄さんらきょうだいに届いた手紙 疎開地の宮崎県高岡町(現宮崎市高岡町)で、赤嶺松栄さん(85)=南風原町=は沖縄に残った父松助さ ...
宮崎でも標準語励行 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(5)<読者と刻む沖縄戦>
2021/08/03
#住民の疎開
高岡国民学校で学んだ時の通知表(一部画像を処理しています) 1944年秋から疎開地の宮崎県高岡町(現宮崎市高岡町)で暮らしていた赤嶺松栄さん(85)=南風原町 ...
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