「連載 奪われた日・再生への願い」の記事一覧
沖縄戦に巻き込まれた人は誰もが何かを奪われた。故郷、大切な家族、教育の機会…。戦後75年。戦渦を生き延びた人々に残る傷痕に焦点を当てる。
親友は血まみれになって息絶え…惨劇の記憶、語り残す 「戦争は僕らでたくさん」<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉜仲田善明さん㊦>
2020/03/28
#沖縄戦
沖縄師範学校男子部でつくる鉄血勤皇師範隊の野戦築城隊の一員だった仲田善明さん(91)=本部町=は1945年5月下旬、首里を離れ南部に撤退を始めた日本軍第32軍 ...
米攻撃で燃える首里城 「言葉にならない」<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉛仲田善明さん㊤>
2020/03/28
#沖縄戦
沖縄戦で炎に包まれた首里城の様子を思い出す仲田善明さん=26日、本部町 学徒隊として沖縄戦に動員された少年は沖縄の象徴が崩れ落ちる様子を目の当たりにし、心が揺 ...
缶詰くれた若い将校 「きっと特攻兵だよ」<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉚山田和子さん㊦>
2020/03/22
#沖縄戦
上陸のために読谷村沖に集結した米軍の艦船(沖縄県公文書館所蔵) 真っ暗な夜道を、ひたすら北に向かって進んだ。 米軍の本島上陸が迫っていた1945年3月。県立 ...
「私も後から行く」避難中、友と再会誓うも…<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉙山田和子さん㊤>
2020/03/22
#沖縄戦
75年前の記憶を振り返る山田和子さん=那覇市 その日、那覇市の空は雲一つない晴天だった。 1945年3月。山田和子さん(91)=那覇市=は母と弟、妹とともに ...
「無傷なのは自分くらい」 同郷の仲間 無残な死<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉘宮城清助さん㊦>
2020/03/16
#沖縄戦
第二護郷隊之碑前で、戦争中に亡くなった仲間への思いを語る宮城清助さん=恩納村安富祖 第二護郷隊第一中隊に配属され、初任務で死ぬ思いをした宮城清助さん(92)= ...
戦況の悪化「デマだ」 軍の教育を盲信「死ぬ思いだった」<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉗宮城清助さん㊤>
2020/03/15
#沖縄戦
初任務で「死ぬ思いだった」と語る宮城清助さん=那覇市山下町 国頭村与那で生まれた宮城清助さん(92)=那覇市=は沖縄戦時、本島北部の少年たちで組織された遊撃隊 ...
「最後の仕事になるはず」ピースウォーク、32軍壕の保存…沖縄戦継承へ歩む<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉖垣花豊順さん㊦>
2020/03/08
#沖縄戦
垣花豊順さんが実行委員長を務めた沖縄戦を知るピースウオークの出発式=2010年4月1日、読谷村渡具知の「米軍上陸の地碑」 城辺村保良出身の垣花豊順さん(86) ...
兵士に懐いた子どもたちは…違和感が拒否感に変わった出来事<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉕垣花豊順さん㊤>
2020/03/07
#沖縄戦
戦争で「学校が嫌になった」と語る垣花豊順さん=5日、那覇市内 宮古島にある城辺村保良出身の垣花豊順さん(86)=那覇市=は国民学校に通っていた頃に沖縄戦を経験 ...
“無人”になった集落に小飛行場造成 撤去後に総出で開墾<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉔嘉英信さん、中村喜政さん>
2020/03/01
#沖縄戦
戦時中に米軍が造成した「小飛行場」の跡地に立ち、当時の様子を語る比嘉英信さん(左)と仲村喜政さん=2月19日、中城村当間 戦前、泡瀬(沖縄市)と与那原をつなぐ ...
「勉強はほぼできなかった」学ぶ機会ないまま卒業 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡23喜納政保さん㊦>
2020/02/24
#沖縄戦
食料配給所の周囲に集まり登録を待つ地元民=1945年8月、名護市久志(沖縄県公文書館所蔵) 「最初は『演習か』と思いましたよ」 1944年10月10日朝。い ...
「夢は海軍兵学校」虚構の戦争に憧れ <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉒喜納政保さん㊤>
2020/02/23
#沖縄戦
会社事務所を兼ねた自宅で取材に応じ、75年前を回想する喜納政保さん=20日、那覇市 「海軍兵学校に行くこと。それがあの頃の夢だった」。喜納政保(まさやす)さん ...
「みんな秀才だった。生きていたら活躍したはずね」 友を思い福祉にまい進<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡㉑松堂昌永さん㊦>
2020/02/17
#沖縄戦
県立工業学校の同窓生と再会し酒を酌み交わす松堂昌永さん(柱の左の最後列)=1956年8月(松堂昌永さん提供) 首里の県立工業学校に通っていた松堂昌永さん(89 ...
「戦場に行きたくない」 入隊試験 白紙で提出<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑳松堂昌永さん㊤>
2020/02/16
#沖縄戦
通信隊の試験を「白紙で出した」と明かす松堂昌永さん=12日、那覇市 太平洋戦争真っただ中、県立工業学校に通っていた金武村出身の松堂昌永さん(89)=那覇市=は ...
ごみ捨て場あさり、タバコの吸い殻集めで生き抜いた 7歳で孤児になった少年の戦後<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑲嘉陽宗伸さん㊦>
2020/02/09
#沖縄戦
7歳にして一人で生きていくことを強いられた嘉陽宗伸さん(82)=那覇市首里山川町=は孤児院を転々とし、中学生のころ首里孤児院(現那覇市首里当蔵町)に移った。「 ...
孤児院の写真に写る7歳の少年の戦争体験 「周りは水ぶくれした死体…」<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑱嘉陽宗伸さん㊤>
2020/02/08
#沖縄戦
その日は梅雨空から一転して晴れていた。身を隠した公民館で母と祖父の一家3人、つかの間の団らんをしている時だった。さく裂音が突然響いた。気付くと母の体が覆いかぶ ...
「父の手は命綱だった」 全盲の男性、見えない戦場逃げ回る <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑰金城澄男さん>
2020/02/03
#沖縄戦
戦時中、通ることができなかった旧石川橋に立つ金城澄男さん=1月10日、うるま市石川の旧石川橋 「父の手は命綱だった」。戦時中、身体に障がいがある人々は家族の力 ...
「パラオの家に行きたい」 困窮で父の夢かなわず <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡(16)岸本セツ子さん㊦>
2020/02/02
#沖縄戦
43年ぶりにパラオを訪れ屋敷跡で手を合わせる岸本セツ子さん(左から4人目)ら=1988年6月、パラオ(岸本セツ子さん提供) 太平洋戦争真っただ中、暮らしていた ...
「母は私を捨てたのか」 パラオでの記憶、今も女性を苦しめる<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡(15)岸本セツ子さん㊤>
2020/02/01
#沖縄戦
母と引き離されたパラオでの戦争体験を振り返る岸本セツ子さん=1月28日、那覇市内 より良い生活を求めて南洋諸島に移り住んだ入植者の娘は戦争によって家族と引き離 ...
「あれは戦争だったんだ」 手話を学び語り合うことで自分の体験を理解 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑭友寄美代子さん㊦>
2020/01/27
#沖縄戦
友寄美代子さんが3人の姉と戦前に撮った写真(写真裏に「十七歳春子さん 二十歳上阪の記念」、長女23歳、次女20歳、三女19歳、本人は6歳) 聴覚障がいがあり、 ...
死体の臭い、黒い煙… 無音の中の戦場は今も 聴覚障がい者が体験した沖縄戦 <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑬友寄美代子さん㊤>
2020/01/26
#沖縄戦
通所する就労継続支援B型事業所「みみの木」の施設長と手話通訳者の手を借りて戦争体験を説明する友寄美代子さん=17日、那覇市若狭の同事業所 「爆弾の音が地響きで ...
集落の4割以上が犠牲になった村 戦後、焼け野原からの再建 途絶えた祭りも復活<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑫・保栄茂の大豊年祭>
2020/01/25
#沖縄戦
6年に1度行われる保栄茂の大豊年祭の奉納舞踊「四季口説」で使われる衣装を前に、祭りの意義などについて語る(左から)當銘正幸さん、當銘健一さん=21日、豊見城市保 ...
「同じ思いさせたくない」 幼い頃の辛い記憶から結婚するも子どもはつくらず 戦後、男性が歩んだ道とは… <奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑪大城勲さん>
2020/01/20
#家族
沖縄戦で孤児となり「子どもに同じ思いをさせたくなかった」と語る大城勲さん=2019年12月28日、豊見城市内 戦争に家族を奪われ、つらい子ども時代を過ごした記 ...
「見える人に負けるもんか」 夫婦で指圧師40年余り<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑩安慶名貞子さん㊦>
2020/01/19
#沖縄戦
マッサージ店の開業に向けて準備を進めているころの安慶名貞子さん=1963年1月 沖縄戦の後、栄養失調と熱病の治療が受けられず失明した安慶名貞子さん(80)=沖 ...
「学校に行く夢、よく見た」 中学生なれず奉公へ<奪われた日・再生への願い―戦後75年県民の足跡⑧大城政子さん㊦>
2020/01/18
#家族
大城政子さん 沖縄戦で家族全員を失った大城政子さん(79)=糸満市。小学校を卒業すると働かなければならず、憧れた中学生にはなれなかった。戦争のせいで、戦後は教 ...
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