「沖縄まぼろし映画館」の記事一覧
ペリー劇場 小禄小の学芸会で使用 <沖縄まぼろし映画館>185
前回、小禄のカメラ店「たかちよ商会」の上原隆昭さんが撮影した写真を紹介した。那覇市山下町にあった「港劇場」(後の「ペリー劇場」)が写っており、その奥に見える奥 ...
港劇場 消えた村の名を冠する <沖縄まぼろし映画館>184
小禄に特化した情報発信サイト「うるくニッポン放送」を運営する高良広輝さんより、「ペリー劇場」(那覇市山下町)が写った写真を提供いただいた。撮影者は小禄のカメラ ...
与勝琉映館と与勝映画劇場 与勝の映画館の写真 <沖縄まぼろし映画館>183
私たちの映画興行調査は、映画研究家の故・山里将人先生より頂いた資料を基にしている。今回紹介する「与勝劇場」(旧・勝連村、現在のうるま市)とされる写真もその1枚 ...
宮古沖映館(まいなみ劇場) 資料で異なる開館時期<沖縄まぼろし映画館>182
宮古島における戦後初の常設映画館は1950年12月23日開館の「平和館」とされる。その次に開館したといわれているのが「菊水館」。経営主は後に旧平良市の市長とな ...
真栄城徳松と平和館(宮古島)(2) 移転前に館名を変更?<沖縄まぼろし映画館>181
戦後の宮古島で初の常設映画館建設を決意した真栄城徳松は、1949年頃、本土へ修理に向かう米軍船に忍び込んだ。傍らには生薬の海人草(かいにんそう)や米国製たばこ ...
真栄城徳松と平和館(宮古島)(1) 物資積み台湾・沖縄往来<沖縄まぼろし映画館>180
かつて那覇市の平和通り入り口付近には、通り名の由来となった映画館「平和館」があった。実は宮古島にも同名の劇場が存在したのをご存じだろうか。今回はその映画館を造 ...
宮古国映館(現よしもと南の島パニパニシネマ) 何度もよみがえる映画館<沖縄まぼろし映画館>179
「宮古国映館」は宮古島市の平良西里にあった映画館である。「世や直れ:音楽で島興し第1集:宮古島市誕生記念」(小禄恵良編著)によれば、1956年10月30日に開 ...
池間劇場ほか 小さな島に三つも劇場<沖縄まぼろし映画館>178
宮古島の北に位置する池間島。人口約500人の小さな島だが、かつては劇場が三つもあったという。池間島観光協会の代表理事・仲間広二さん(1963年生まれ)に案内し ...
平和館(戦前) 客に背中を向けた弁士<沖縄まぼろし映画館>177
沖縄芝居の舞台美術家・新城栄徳さんは1938年生まれの85歳。幼い頃に過ごしたのは、戦前まで那覇市の中心地だった西本町(現在の西1丁目)である。自宅の周囲には ...
嘉手納沖映館 新たな写真で館名判明<沖縄まぼろし映画館>176
以前、「読谷沖映館」館主の故・山城源徳氏の家族から提供いただいたアルバム(以下、源徳アルバム)より、館名不明の沖映系映画館の写真を3枚紹介した。今回、そのうち ...
国映館 かつてのランドマーク<沖縄まぼろし映画館>175
多くの観光客が行き交う国際通り。かつてこの街にはランドマークとも呼べる建物がいくつか存在した。特に際立っていたのが那覇市松尾の「国映館」だ。 前身は、195 ...
ナポリ座 ネットの集合知で構造判明<沖縄まぼろし映画館>174
現在、「首里劇場」(1950年開館)が解体工事中だが、それに先駆けること今夏に取り壊された映画館がある。北谷村謝苅三区(現在の北谷町吉原)の三差路にあった「ナ ...
首里劇場 劇場解体、さよなら館長 <沖縄まぼろし映画館>173
沖縄現存最古の映画館「首里劇場」の解体が16日より始まる。私が参加している「首里劇場調査団」が最後の内覧会を開催したところ、なんと1169人もの方々が訪れて、 ...
首里劇場 16日から変遷たどる写真展<沖縄まぼろし映画館>172
沖縄に現存する最古の映画館「首里劇場」の写真展を、那覇市のパレットくもじ9階にある映画館「シネマパレット」で開催することになった。 「首里劇場」は1950年 ...
嘉手納琉映館 時代劇ブームで大繁盛<沖縄まぼろし映画館>171
ここに1枚の写真がある。かつて配給会社「琉映貿」だった株式会社ビガロより提供いただいたものだ。「琉映貿」のロゴ「REB」が掲げられていることから、琉映系の劇場 ...
嘉手納館・嘉手納オリオン座・嘉手納第二東映 ある事件で館名変更<沖縄まぼろし映画館>170
故・町田清さん(1930年生まれ)よりご提供頂いた、「嘉手納第二東映」(嘉手納ロータリー沿い)と思われる写真(前々回に掲載)から始まった物語。関係者の証言やさ ...
叶座・嘉手納第二東映 戦前から続いた劇場経営 <沖縄まぼろし映画館>169
前回、嘉手納ロータリー沿いにあった「嘉手納第二東映」と思われる写真を掲載した。提供者の故・町田清さん(1930年生まれ)によれば、経営者は実父の町田宗俊だが、 ...
嘉手納第二東映? 館名 祝幕にヒント <沖縄まぼろし映画館>168
今から8年前のこと。嘉手納町在住の町田卓二さんからの紹介で、同町にあった映画館で働いていたという卓二さんの父・清さん(1930年生まれ)のお話を聞く機会に恵ま ...
本部琉映館 1966年までは営業、面影なく <沖縄まぼろし映画館>167
先日、写真家の岡本尚文さんが自身のSNSに「本部琉映館」の写真を投稿しているのを目にした。本部町の渡久地港近くにあった劇場である。 「撮影したのは1979年 ...
バーチャル首里劇場と新世界館 メタバースに劇場再現 <沖縄まぼろし映画館>166
デザイナーの平井晋(すすむ)さん(糸満市在住)が面白い試みを行っている。沖縄に現存する最古の映画館『首里劇場』(1950年開館)を3Dソフトで再現、メタバース ...
「リメンバリング オキナワ」 復帰前後 写真で比較<沖縄まぼろし映画館>165
『リメンバリング オキナワ 沖縄島定点探訪』(岡本尚文編著/トゥーヴァージンズ刊)が全国発売された。これは、主に復帰前の沖縄を訪れたアメリカ人が撮影した風景写 ...
映画看板師 喜名景昭 技法を未来に伝える <沖縄まぼろし映画館>164
かつて映画看板師として活躍した喜名景昭さん(1947年生まれ)。そのきっかけは、中3で出会った男性の一言だったという。 「結核で金武の保養院で療養していたら ...
首里劇場 戦後混迷期 体現した建物 <沖縄まぼろし映画館>163
4月9日に「首里劇場」の金城政則館長が急逝してから8カ月。後継者の不在と建物の老朽化で再開の目途は全く立っていない。取り壊しの可能性も拭いきれない。 しかし ...
桜坂劇場 描くスピードに自信あり <沖縄まぼろし映画館>162
かつて、配給会社「国映」の看板絵師として活躍した具志堅実さん(1958年生まれ)。小学生から絵を書くのが好きで、沖縄工業高校のデザイン科に進学。卒業後、千葉県 ...
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