「読者と刻む沖縄戦」の記事一覧
紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。
小さなイモで命つなぐ 池原盛憲さん(7) 山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/23
#沖縄戦
現在の国頭村奥間の集落 米軍上陸直前の1945年3月末、池原盛憲さん(88)=那覇市=の一家7人は読谷村楚辺から国頭村奥間に疎開します。 《途中、名護に差し ...
あたふたと馬車で国頭へ 池原盛憲さん(6) 山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/22
#沖縄戦
現在の読谷村楚辺。旧集落は米軍が接収し、トリイ通信施設となった 池原盛憲さん(88)=那覇市=は読谷村楚辺から指定疎開先の国頭村奥間へ向かいます。父の蒲蔵さん ...
米艦船に「デェージナトン」 池原盛憲さん(5) 山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/21
#沖縄戦
現在の楚辺集落沖に広がる海 1945年になると米軍の空襲は一層激しくなります。池原盛憲さん(88)=那覇市=が暮らしていた読谷村楚辺にも危機が迫っていました。 ...
「アイゴー」の泣き声聞く 池原盛憲さん(4) 山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/19
#沖縄戦
歌三線の祖・赤犬子を祭る赤犬子宮。この地に機関砲隊が置かれた=読谷村楚辺 池原盛憲さん(88)=那覇市=は日本軍が駐屯し、集落の様子が変わっていく読谷村楚辺で ...
教師と児童が戦争ごっこ 池原盛憲さん(3)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/18
#山の戦争
古堅国民学校の跡地。1944年、校舎は日本軍が徴用する=読谷村楚辺 読谷村の古堅国民学校で学んでいた池原盛憲さん(88)=那覇市=は1944年、3年生に進級し ...
集落に広がる戦時色 池原盛憲さん(2)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/17
#山の戦争
現在も残る古堅国民学校の門柱=読谷村楚辺 読谷村楚辺で暮らし、古堅国民学校に通っていた池原盛憲さん(88)=那覇市=の記憶では1943年ごろから村内でも戦時色 ...
友達増え、運動会も楽しく… 続かなかった平和な日々 池原盛憲さん(1)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2023/06/17
#山の戦争
池原 盛憲さん 那覇市繁多川にお住まいの池原盛憲さん(88)から戦争体験記をいただきました。池原さんは読谷村楚辺の生まれで、沖縄戦の時は家族と共に疎開先の国頭 ...
家族と遺骨携え沖縄へ 嵩原安正さん(8)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/12
#島の戦争
パラオで亡くなった2人の弟の名が「平和の礎」に刻まれている 2人の弟、安光さんと安佐美さんをパラオで亡くした嵩原安正さん(87)=那覇市=は1946年、家族と ...
三男も飢えの犠牲に 嵩原安正さん(7)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/11
#島の戦争
1945年8月15日、日本は敗戦の日を迎えます。パラオ本島(バベルダオブ島)にいた嵩原安正さん(87)=那覇市=はその時のことを覚えています。 「夜、米軍の ...
米奪われ、弟が栄養失調死 嵩原安正さん(6)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/10
#島の戦争
嵩原安正さん(87)=那覇市=のいたパラオ本島(バベルダオブ島)の食糧事情は一層悪化し、一般住民、日本兵は飢えに苦しみました。 嵩原さん一家は山で取ったカズ ...
イモ供出、作業に追われる母 嵩原安正さん(5)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/08
#沖縄戦
嵩原安正さん(87)=那覇市=が小学生で組織する「少年隊」に駆り出されていたころ、母のヨシさんは軍の食料増産に追われていました。 「畑は兵士の食料作りのため ...
暮らしに戦争の影 嵩原安正さん(3)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/08
#島の戦争
パラオのペリリュー島に渡った嵩原安正さん(87)=那覇市=の平穏な暮らしは長くは続きませんでした。1942年夏、一家はペリリュー島を離れることになります。「小 ...
軍、小学生を伝令役に 嵩原安正さん(4)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/08
#島の戦争
嵩原安正さん(87)=那覇市=が通っていたパラオ本島(バベルダオブ島)アイライ村の瑞穂国民学校は1944年2月頃、日本軍の兵舎となります。「その頃、先生たちも ...
開戦時に紅白まんじゅう 嵩原安正さん(2)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/06
#島の戦争
サイパンで生まれ育った嵩原安正さん(87)=那覇市=は5歳の頃、パラオのペリリュー島に渡り、家族の新たな生活が始まります。弟も生まれました。 父の安市さんは ...
サイパン島で父がキビ作り従事 嵩原安正さん(1)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/05
#島の戦争
嵩原 安正さん 那覇市首里にお住まいの嵩原安正さん(87)から戦争体験のお話をうかがいました。嵩原さんは戦時中、パラオで暮らしました。食糧難の中、2人の弟を亡 ...
校長は殺され、姉と祖母は事故死 森松長孝さん(7)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/02
#山の戦争
本部町伊豆味にある照屋忠英校長の顕彰碑 本部町や今帰仁村、今帰仁村に疎開していた伊江村住民が久志村(現名護市)の大浦崎収容地区に移動してきたのは1945年6月 ...
山を下り大浦崎収容地区へ 森松長孝さん(6)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/07/02
#山の戦争
米軍キャンプ・シュワブのゲート。本部、今帰仁、伊江住民の収容所が置かれた 本部町の八重岳や真部山を舞台とした日米両軍の激戦は1945年4月13日ごろから始まり ...
傷ついていく住民たち 森松長孝さん(5)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/30
#沖縄戦77年
激戦地となった真部山の山中。道沿いに日本兵の供養塔がある=本部町大嘉陽 本部町の八重岳や真部山に拠点を置いていた独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊、通称宇 ...
危険冒し、訪ねてきた母 森松長孝さん(4)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/29
#沖縄戦77年
1945年4月1日、米軍が沖縄本島中部西海岸に上陸します。13日以降、八重岳周辺で米軍と日本軍の戦闘が始まります。真部山にいた森松長孝さん(88)=沖縄市=は ...
朝鮮人軍夫が重労働 森松長孝さん(3)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/28
#沖縄戦77年
八重岳の入り口。日本軍駐屯地で朝鮮人の「軍夫」が働き、「慰安所」が置かれた 1944年夏以降、森松長孝さん(88)=沖縄市=が暮らしていた本部町大嘉陽の真部山 ...
10・10空襲で渡久地が襲撃 森松長孝さん(2)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/27
#沖縄戦77年
現在の本部町役場。この地に本部国民学校があった 大叔父の養子となり、本部町の大嘉陽で暮らしていた森松長孝さん(88)=沖縄市=が現在の本部町役場の敷地にあった ...
父は召集され、戦争の雰囲気に 森松長孝さん(1)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/26
#沖縄戦77年
沖縄市の森松長孝さん(88)から戦争体験をお聞きしました。米軍上陸時、本部町大嘉陽の山中に避難し、飢えに苦しみました。米軍に捕らわれた後は大浦崎の収容地区に移 ...
国策に抵抗、平和訴え続ける 森根昇さん(7)捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/24
#捕らわれた日
CTS闘争当時に森根さんが打ち鳴らした鐘=うるま市与那城屋慶名 森根昇さん(81)=うるま市=が戦後暮らした与那城村(現うるま市与那城)屋慶名一帯では米軍基地 ...
米兵相手のバー街でドル拾い 森根昇さん(6)捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>
2022/06/23
#捕らわれた日
1940年代後半、「チャイナ部隊」が駐屯していた一帯=うるま市与那城饒辺 与那城村(現うるま市与那城)の薮地島で米軍に捕らわれ、前原地区の収容所を経て石川市で ...
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